アニメが好きだというお話

どーも、ぼくです。気がつけば4月ですね。

 スギ花粉の季節が終わって、一安心かと思ってたら、今度はヒノキ花粉が例年の400倍とかの飛散量でとっても悲惨なことになってるとかなんとか。

 4月と言えば、色々新しい物が始まる時期でして。新生活・新学期・春アニメなどなど、、、

 アニメの話題を繰り出すとツイッターのフォロワーが減る現象もあったりしますが、めげずにアニメを見ます。なぜならオタクだから。

 

 ぼくがアニメ好きなのはもうほとんどの人が知り得てる事なので、今さらではあるかと思いますが。世代的に中学・高校くらいの時はアニメの話になると「オタクキモい死ね」というのがワンセットで言われるような時代であったので、ぼくはパンクが好きな事以外は周りに言わずに隠れオタクをやってたのです。なので、Facebookくらいでしか繋がってない過去の友人・知人はぼくがアニメオタクだなんて知らないままの人もいるわけです。(今思えば、そこで開き直ってたら、アニメ業界に進む道を選んでいたのかもしれない)今の世代はスマホやパソコンと言ったネット環境もあるから、誰だってすんなりアニメに触れられる事が出来るのはとてもいい事なのかと思う。昔はオンタイムで見れなきゃ録画→録画失敗したらビデオ発売待ちとかレンタル待ちだったし。とは言え、今程ワンクールの放送数が多かったわけでもないし、深夜帯でやってるのも少なかったし、追い掛けやすかったりもしたけど。ただネットの情報みたいなのも無いし、アニメ雑誌を買うなどしないと情報が手に入れられなかったりもしたのでした。

 

 という冒頭から始まる感じの内容が今回のお話。

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NEVER KNOWS BEST (from FLCL)

 

いつにも増して自分語りになるから興味ない人は読まなくてもいい話だし、パンクやバンドの話は関係ないです。

書き終えてみたら、とんでもなく長くなったので、アニメ好きでない人には面白くないやつ。あと独自解釈ばかりなので、あんまり業界詳しい人とかには読まれたくなさ。まぁ、自分の思ってる事をダラダラ書いただけの内容です。

 

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先日、りゅうおうのおしごと!聖地巡礼として、千駄ヶ谷鳩森神社に行った際に撮影した写真にアニメのシーンを切り抜いてコラージュしたもの。

 

 時は1995年10月、今から遡ること23年前。わたし11歳の時。新世紀エヴァンゲリオンというアニメがやるんだとクラスメイトに教えられ、時間帯も夕方だし学校終わってから見るにはちょうどいい時間だったので、見始めたのですが、コレが元凶すべての始まりだったわけです。

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小学生だった当時、こんなん見せられても意味がわからん。まぁ大人になった今見返してもあんまりわかんないけど。ただ、でっかいロボットのような物が、使徒と呼ばれる何かと戦う様子はめちゃくちゃかっこよかった。あと、小学生が見る物としてはちょっとエッチだったし、内容が重かった。これは後にしったけど、「第弐拾話 心のかたち 人のかたち」の放送ではベッドシーンを彷彿させる描写があり、PTAが激怒したという話だったし。とりあえず、ここではエヴァの詳細については割愛。

 と、すっかりエヴァに魅せられ、多分元々ハマり性だったぼくは色々調べてみたところ、ふしぎの海のナディアと同じ制作会社が作ってる事を知った。GAINAXですね。

 ナディアは1990年の放送で、NHKで放送されてたので、親も子どもに見せるには安心と思ってたのか、毎週わくわくしながら見てた記憶があったのでした。

 ただ、当時はアニメに関しての知識なんてまったくないので、エヴァに関してはアニメの作画は庵野監督や、貞本さんが描いてるものだと思ってたし、ドラゴンボール鳥山明が描いてるものだと思ってた。OPやEDのクレジットを見てても、チンプンカンプンだったし、せいぜい悟空と悟飯は野沢雅子だっていう声優情報しか知らなかった。アニメーターさんという存在がいるのを知らなかったんですよね。だから、コミックの絵柄とアニメの絵柄が違うのは紙に描いてるか、セル画に描いてるかの違いで絵柄が変わってきちゃうものなんだとばかり思ってたのです。ちなみに、セル画を知ってたのは、なんでも鑑定団とかで、古いアニメのセル画の鑑定をしたりする時があったからですね。

 んで、当時のアニメの情報源としてはアニメージュやらニュータイプと言った雑誌だったのですが、エヴァの特集をしてて、イラストの下に「イラスト/鶴巻和哉とか、「イラスト/松原秀典と書かれてるのを見て「庵野監督や貞本さんが描いてるんとちゃうんかい!」となり、それがアニメーターさんという存在を知るきっかけになったのでした。まだ当時はキャラデザに対して、作画監督やアニメーターさんのクセで、公式絵なのに絵柄の雰囲気が違うという事もたくさんあったので、不思議に思っていた部分が一つ解決したという瞬間でもありました。

 

 どちらかと言えばアニメの版権絵を見るよりも、その原画を見る方が好きだったりもしたので、そこから深くアニメーターさんの存在を追いかけるようになったのです。と言っても、そこまで選球眼にすぐれてるわけでもないので、原画をほいと見せられても、「これは○○さんの原画ですねデュフフ」なんて答えられるほどではないのですが。イラストなら「これは○○さんの!」とわかるのですが、アニメの原画となると、キャラデザや設定に寄せてアニメーターさんが描いてらっしゃるので、よっぽどクセが無いと見分けがつかなかったりもするのです。それでもアニメーターwikiを編集してる人達はここの原画は○○氏のパートってわかってたりもするから、オタクほんとすげぇってなるのです。

 僕は当時GAINAXにどハマりして、GAINAX作品をかたっぱしから見てたのですが、その中でも、天元突破グレンラガントップをねらえ!と言った、王道の作品からではなく、OVAで作られ国内よりも国外でウケてたFLCLにやられ、そこからさらにアニメーターさんへの興味が深まったわけです。

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新劇場版エヴァの監督、鶴巻和哉さんの初監督作品がFLCL

 

 結構革新的なアニメだったなと思ったのは、アニソン(特に当時のはやりはユーロビートっぽい曲調)をまったく使用せず、全編the Pillowsの曲を使ってたという部分で、スタイリッシュに仕上がってた所。ストーリー的にはやや意味がわかりにくい部分もあったけど、その辺は勝手に解釈出来たし、GAINAX内のネタを使ってメタ発言などの要素も入ってて、スタッフが楽しんで作ってる感がすごくあった。

 んで、1話の後半でメカ同士の戦いになるシーンがあるのですが、そこの原画を担当してたのが、吉成曜さんだと知るのです。

 吉成さんの原画のシーンはとにかくキャラやメカがすごくいきいきと動き回るんですよね。メカなのに、生き物みたいに動いて見えるとか。

エヴァの旧劇場版の弐号機vs量産型のシーンは何回見ても感嘆のため息がもれます。

 

 そんなこんなでアニメーターさんを好きになってから、エンドクレジットを見るのが楽しみになり、コミケではアニメーターさんのいるサークルの本か、企業ブースにて公式で出してる設定資料集ばかり買うようになったのです。とはいえ、アニメーターさんもたくさんいらっしゃるので、名前は知ってるレベルの人や、名前もわからない人もたくさんいるのです。個人的にはGAINAXからの流れで、TRIGGERのお仕事をされてる方のイラストが特に好きで、今石洋之さん雨宮哲さんすしおさん半田修平さん堀剛史さん斉藤健吾さん、などなど挙げきれないくらいに数え上げたらたくさんの好きな方がいらっしゃいます。

 他にも、現在フリーの錦織敦史さんジーベック足立慎吾さん、亡くなられてしまった金田伊功さん、フリーの渡部明夫さん(a.k.a ぽよよん♥ろっく)J.C. STAFFで活躍してる桜美勝志さんカラー平松禎史さん、フリーの保村成さん京アニからフリーの堀口悠紀子さんシャフト杉山延寛さん、、、などなど、とにかくたくさんの方の絵を見て、アニメにどっぷりはまっていったのでした。さらには、デザインの仕事をするようになってから、結構デザインの影響を受けたりもしたのです。特にスタジオで言えばSHAFTのデザイン手法にはコラージュを作る上で、多大なる影響を受けまくりました。

 

 そして、ぼくがとりわけ好きなアニメーターさんというのが、project No.9所属の矢野茜さんなのです。2018年の1月から放送されていたりゅうおうのおしごと!ではキャラクターデザインと総作画監督をつとめていたり、可愛い人だ!とネットで話題になったりしてるので、アニメ好きな人はわりと最近よく名前を見かける方だと思います。

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Blu-ray1巻好評発売中

 

 矢野さんを初めて僕がアニメーターさんとして意識するようになった作品は、2016年の4月から放送されたネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?がきっかけでした。元々、声優の南條愛乃さんが好きだったのもあり、南條さんがネトゲの嫁に出演されるという事で、これは見ないと!と思ったのですが、その時もキャラデザと総作監をしていたため、Twitterで存在を知ったというのが流れなのです。その後調べてみたら、最初の参加作品が2013年の僕は友達が少ない NEXT」の第二原画からはじまり、ニセコイではメインアニメーターや作監を務めたり、グリザイアの果実でも作監をしていたりと、この5年で結構たくさんの作品に参加されていたようでした。

 ではなぜこんなに魅了されているのかというと、ほぼ毎日のように何かしら絵を描いてツイートしてくれてるんですよね。他のアニメーターさんもそうい方は多いですけども。矢野さんの場合は、色使いや写真の雰囲気もあるのですが、絵から暖かみがを感じられる物が多いのです。

 女性のアニメーターさんでありながらも「服を描くのはめんどうだから、裸を描くのが好き」と言いつつも、実際の所結構中身がオヤジな部分が見受けられるので、ほんとは女の子の裸好きなんじゃねーかって思っています。

 また、矢野さんは自分の手がけたキャラクターに対しての愛情がたくさん読み取れるのですが、ぼくが好きなアニメーターさんというのは、だいたい自分の手がけたキャラクターへの愛情が深いのです。前述のすしおさんなんかは特に、キルラキル満艦飾マコが好きで、未だにマコを描き続けていたり、そういうのを見ると、単なるクリエイターではなく、作品の産みの親であり、この方々がいないとこんないい作品に出会う事は出来なかったと思えてくるのです。そういう意味で矢野さんのツイートする絵からは多くの感情が読み取れます。最近はりゅうおうのキャラが多いのですが、たまにネトゲの嫁のキャラも描いてたりもしてくれてます。そうすると、普段顔の見えない仕事をされているアニメーターさんの姿がキャラクターにダブって見えるんですよね。実際、ぼくは矢野さんの顔を知るまでは、ネトゲの嫁の亜子とダブってましたし、すしおさんに関しては、キルラキルの蟇郡とダブって見えてました。半田さんなんかは未だに「リトル・ウィッチ・アカデミア」のアッコの姿に見えてます。そうやってダブって見えてくるようになると、ラクガキ(とてもラクガキレベルではない代物)と称してTwitterにあがった絵から、その時の感情なども読み取れる気がして(気がするだけ)、作品と制作陣は表裏一体なんだなという気にもなってくるのです。あと、人柄って絵柄からわかりますよね。とくに、芳垣祐介さんは、Twitterに日々の日記のような物を、コメントも載せず、イラストだけ淡々とアップしてるのですが、そこからはTRIGGERのスタッフ皆様方が、芳垣さん好き!と言う理由がわかるくらいの人の良さが溢れてます。

 2018年の2月末に、矢野さんは週プレのインタビューを受けており、その際に週プレ側から「ルックスが話題になりますが…」という質問に対して「(ルックスで)贔屓されて作監やキャラデザをやってるとは思われたくないんです。ルックスは関係なくて、完全に実力の業界だと思うので。」という返答をされており、この発言こそ、ぼくが矢野さんを好きである所以でもあったりするのでした。おそらく、この話題のせいで、言われも無い事を言われたり、足かせになった面は多々あったかと思いますが、本人はそこをまったく見せないのでハートの強さを感じます。僕自身は会社は変われど、ずっと印刷業界にいて、帰れない・休めない・給料安いという苦難を味わってきてるんですけど、アニメ業界もそこに近い部分が見受けられるので、そこを乗り越えてなお仕事を出来るのは、よっぽど仕事が好きか、中身が男っぽい部分があるからなんだろうなと思ってみたりもしてます。

ご本人のTwitterより、こんなん普通はしませんわね。ぼくも昔は会社の床に段ボール敷いて寝てました。

 

 Twitterというツールは非常に便利な物で、簡単にこちらの思いを伝える事も出来たりするので、アニメの感想や同人誌の感想だったり、なにかあればイラレやフォトショを使って画像を作り、アニメ制作お疲れ様でしただったり、感謝の気持ちを込めて送るのですが、そこに対して返事をいただけるのもありがたい話です。たとえば、声優さんやアイドルだったりすると、リプライやファンレターは送れど、そこに返事をもらえる事はあまりないです。アイドルだと、地下アイドルだったりしたら規制がゆるいのでまた別ですが。矢野さん含め、過去に数名のアニメーターさんからTwitterで返事をもらったりした事もあるのですが、皆さん物凄く対応がいいのです。忙しいはずなのに返事をくれたりするとアニメーターオタク冥利につきるってやつですね。とはいえ、人と人ですし、距離感を間違うわけにはいかないので、馴れ馴れしいリプを送ってる人を見ると、こっちがイラッとしたりもして、自分はまじめだなーとか思ったりもしちゃうのですけど、そういう横柄な態度で芸能人や有名人にリプ送れる人ってどんな神経してんのかと思ったり。矢野さんへのコメント欄見ても「矢野さんかわいい!」とかしかツイートしないのもいて、絵を見なさいよ!!と、そして週プレのインタビューを暗記するまで読め!とも思ってしまったり。

 と、気付けばアニメへの思いの話から、いつの間にかぼくがどんだけ矢野さんのファンであるかを語ってる内容になってたので、方向を元に戻します。まぁ実際、アニメーターさんという観点だけでなく、人としても女性としても好きなのですが(照)

 

 アニメが好きな人と話をすると、必ずといって言い程にあがる話題としては、「一番好きなアニメって何?」だと思うのですが、ぼくの場合は簡単に「これ!」と言える作品が無いのです。当然ジャンルの違いもあるし、絵柄の違い声優さんの違いなんかもあったりするので。強いて言うならと言うのであれば、やっぱりエヴァになるのかなぁと思うんですけど、でも他にも同じように好きな作品はたくさんあります。繰り返し見て楽しめる作品というのが好きな作品なのであって、THE IDOLM@STERも好きだし、マクロス化物語もシリーズ通して好きだし、交響詩エウレカセブンも好きだし、最近だと三ツ星カラーズは大ヒットだったし、一番好きというものを決めなくてもいいのかなぁという気もしてたりします。自分の好きなジャンルもバラバラだし泣けるのがよかったり、笑えるのがよかったり様々…。

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アニメのアイマスは監督が錦織敦史さんで、最高の出来でしたね。

 

 もうひとつ、アニメを見るモチベーションの一つになるのは、キャラデザを担当した人であったり、監督だったりしてるのは一つの要因でもあったりします。それで見逃してて、後で話題になってから「あーリアルタイムで見ていたかった!!!泣」なんて事もあったりしてしまうので、なるべく見れる物は見ようと最近は思ってたりもします。

 どんなアニメであっても、たくさんの人の手で作られてるので、監督・アニメーター・声優とクローズアップされやすい部分以外にも、音響・撮影と言った方や、制作進行管理の方、宣伝するスタッフなどなど、多方面に渡って人が絡んでるわけですよね。その辺の仕組みの部分はP.A. WORKSSHIROBAKOを見ると、面白く理解できていいかと。

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SHIROBAKOはアニメを作る人達の様子がアニメで見る事が出来ます。

 

 なので、アニメを見るときは感謝の気持ちを忘れないようにと言うのは心がけてたりもしますが、やっぱり作画崩壊は気になっちゃうものでして。つい最近だと、メルヘン・メドヘンが話題になり、2週休んでテコ入れして再開となってたものの、それでも休み明けの回は改善されてなくてTwitterでは祭になってたりもしてたのです。ぼくも驚いてちょっとツイートしてしまったりもしたけども、元々キャラ原案がカントクさんで、キャラデザ・総作監森川侑紀さんだったのもあり、ファンタジーな世界観が表現されるにはいい人達だなと思ってたので、個人的には結構好きな部類のアニメでした。11話と12話は放送時期未定のまま放送終了してしまったけども、いつか無事放送してほしいなと切に願うのです。

 逆に許せない作画崩壊というのもあって、「バンドリ」なんかはESPのギターとのコラボもあってか、主人公達の使う楽器はCGで作り込まれ、本物に近い雰囲気で描かれていたのに、モブのバンド達の楽器はなんじゃこれレベルの作画でした。仮にもバンド物というなら、そこきちんとやれよと。あとあれは主人公に難ありすぎて最後まで見れなかったな。あとキラキラ星な、ある意味スワンキーズよりノイズだった…。

 まぁぼくはそこまで超キビシい目でアニメ見てるでもないので、よっぽどで無ければ親のカタキのごとくガーッと批判する事もなく、ただひっそりと視聴を打ち切るだけなのですが、、、

 ここ最近だと京都アニメーションヴァイオレット・エヴァーガーデンの作画が驚くほどによかったです。1話は初めて見る人にいい物を見せる為に、多くのスタッフを投入して作画バッチリ!になる事が多いようですが、この作品では全13話すべてがそのクオリティだったというのが驚きでした。

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感情を持たない元兵士が手紙の代筆人となり、感情豊かになっていく、とにかく泣ける作品。それが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン

劇場版とかのクオリティを毎回繰り出すなんて、京アニは変態かと。まぁ絵柄がリアリティを増してきたここ最近以前の作品でも、細かい部分までしっかり描き込まれてるというので定評のあった京アニなので、ある意味納得と言えば納得ですが。

 

 現在は3Dだったりデジタル制作の環境が整っているので、作画がキレイになった作品は多くなりましたよね。とりわけメカなんかはすごい緻密になってます。これはこれで、技術職なので、その操作が出来る人はとにかく凄いと思うのですが、やはりマクロスの劇場版愛・おぼえていますか1984年作品)を見てしまったら絶句するレベルの作画。あんだけ緻密なメカや派手な戦闘シーンがすべて手作業っていうんですから、これぞ職人技です。美樹本晴彦さんが描いたと言われるリン・ミンメイはテレビ版と比べるととんでもなく美しかったです。この辺りのアニメは物心つく以前に生まれる前や生まれたばっかの時分なので、当然後追いで見てるのですが、初代マクロスのテレビ版での作画大崩壊からの、愛おぼ劇場版での超神作画への話ってのはググると色んなネタが知れて面白いです。特に、板野サーカスという手法の産みの親である板野一郎さんの逸話や、当時の回想嘆なんかは面白いので読むといいかもです。

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こういう糸引くみたいにミサイル放出されるのが、板野サーカスね。

 

 と、ここまでひたすたダラダラと書きましたが、まだまだ語り尽くせぬ思いはあったりもするので、アニメ好きな人は暇な時間があったら一緒に語らいましょう。作画どーたらなんてのも書きましたが、面白いアニメが見れたらそれだけで感無量です。キャラに萌えてハァハァするもよし、声優さんにハマって声豚になるもよし、内容から何かを感じ取って自分の糧にするもよし。アニメの楽しみ方はたくさんあると思うんですよね。

 日本はアニメ大国と言われてるので、世界中のアニメファンが日々日本に来てはアキバを満喫したりしてるわけですが、ここ最近はアニメ業界の給与や勤務体系がブラックだと話題になるばかりで、こんな寂しい話はないなと思うのです。クールジャパン(笑)というわけわかんない政策のための宣伝費だったり、そういった部分をクリエイターに還元する事の方がよっぽど必要だと思います。いい物は宣伝しなくたって、今の時代SNSとかで勝手に広まるんだから。これに関してはアニメ業界に限らず、物作りの現場全てに言える事でもあるとは思いますが。こんなんじゃ技術が衰退していく一方です。10年先も20年先もアニメを見てワクワクする気持ち、感動する気持ち、笑える気持ちって言うのは味わっていたいものです。

 

 しかし、、、いつものブログより文字数めちゃくちゃ多いな、、、(汗)

 

次の日記はまた過去のバンドのお話で思い出し日記書きます(予定)

ではまた。というかここまで読んだ人いるか謎。読んでくれていたら、ありがとうございます。

思い出し日記的なやつ【その4】

どうも、ぼくです。

前回の更新が2017年の8月25日でした。

一年すぎるのってあっという間ですね。とっくにあけてました、おめでてー気分もさよーならしてた。

 

 前回のブログの最後に、「次回こそは早く更新するぞー!」なんてかいてたけど、200日以上経過するなんて、誰が思ったでしょう。まぁそこまで需要あるとも思ってないし、なんなら自分の思い出し日記的なやつで、過去の記憶をボケて忘れないうちに、インターネットの海の中に垂れ流してるようなあれなんで、更新するだけでもまだマシと思ってくだしあ。(でもたまに、昔からの知り合いに「あれ、色々思い出せて楽しいよ」なんて感想もらっちゃったりもするから、正直それは嬉しかったりもする。)

 アクセス数が多ければ、ぼくもブログに広告のっけて、アフィリエイターになって大金持ちになるんだけど、そんな感じのブログでもないしまぁこんなもんだ。

 

これまでのあらすじじゃよ

思い出し日記的なやつ【その1】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

思い出し日記的なやつ【その2】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

思い出し日記的なやつ【その3】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

思い出し日記的なやつ【番外編】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

 

 さて、今回ブログを久々に書こうと思ったきっかけというのはですね2018年の3月24日(土)に、札幌のスタジオ1989 スタジオ1989 )さんにて、わたくしめが現在やってる、TODESRIEBのライブがありましたものでライブをしに行ってきたのですが、そこでTHE DRUNK BOi!Sを10年とまでは言わないけど、7〜8年ぶりくらいに見まして、STAY PUNK! STAY FREE!だ、懐か死ぬ!!って思ったのがきっかけだったりもします。

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ライブのフライヤー。スタジオ1989さん、ほんとにありがとうございました!

 

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懐か死ぬと思った2018年最新型のTHE DRUNK BOi!S

 

 200日以上前に書いた前回ブログの最後にはあちしの昔やってたSMASH COCKSの時活動の事を次のブログに書く的なそんな風な雰囲気の締めくくりをしてたのですけろ、当時ぼくがどっぷりだったいわゆるPOGO・STREET PUNKなバンドをまとめてみようかと思いました。SMASH COCKSの話はまた持ち越します。

 

ここまで駄文

ここから駄文

 

 いわゆるPOGO・STREET PUNKなバンドにどっぷりになるきっかけというのは、前回の日記に書いてたTHE DiSCLAPTiESを見に行ったのが始まりだったのです。多分2003年くらい。

THE DiSCLAPTiES(千葉)

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見た目の派手さとスピード感、スネアの甲高い音に、シンガロングな歌詞、どれをとってもかっこよくて、当時活動してたバンドでは一番ライブ見に行ってたバンドだと思う。ぼくの一番好きだった曲が、Under Degree Starでした。

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POGO MACHiNE

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みんな大好きPOGO MACHiNE!!!ぼくは鋲ジャンを作る時に、背中にペイントするよりも先にまず袖にPOGO MACHiNEと描きます。これほんと。

2003年頃って、TOM AND BOOT BOYSは活動してない頃だったので、POGO77からリリースしてるPOGOパンクの代表格みたいなとこもあった。未だによく聴いてるけど、多分死ぬまで好きなバンド。

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POGO or DiE は永遠のアンセム!これ間違いない

 

SHiT-FACED

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SHiT-FACEDもPOGO MACHiNEと並んで、POGO77からリリースしていたPOGOパンクの代表格でしたね。KAZOOさんの歌い方は後世や他国のPOGOパンクバンドに多大な影響を与えてる気がする。DOLLか何かのインタビューでTOY DOLLSを意識してるって言っててメンバーから「え?」って反応あったけど、ぼくも読みながら「え?」って思った記憶。SHiT-FACEDも大好きだったな〜

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TOM AND BOOT BOYS

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SEX ATACK今村お父さんの率いるTOM AND BOOT BOYSは華麗なる復活をとげ、その後解散詐欺をはたらき、いまもなお活動中。ぼくは復活してから見てるのですが、当時はTOMのファンで一緒に見に行ったりしてぼくをPOGOパンクの世界に連れ込んだTAKA-44さんが、今TOMでドラム叩いてるというのもなんか面白い話だなぁと。

今村さんにはCでよくお世話になってます、ありがとうございます。

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THE SPECTATORS(福岡)

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知った時には解散してたのでライブしてるとこは見た事ないんですけど、CLOCKWORK スタイルのドルーギーSKA&POGOなバンドで、その手のバンドの中ではぼくは一番好き。願わくは、一度でいいからライブ見てみたかったけど、結構前に、ケンタロー(エレクションズ)が九州で元メンバーと飲む機会があったようで、再結成しないか聞いてみてと頼み、聞いてもらうも「それはないな〜」という答えがあったそうです(泣)

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HAT TRICKERS

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HAT TRICKERSのライブを見て、白いズボンを買ったと言う人が周りに何人かおりましたな、、、当時のギターのケンジさんが、今はボーカルになり現在も活動中。当時から、ライブの時のビジュアルなんかのこだわりも凄かったけど、今なおそのこだわりが進化し続けてて、魅せられるライブをしてますね。

最近うまい事見に行けるタイミングがあわないのもあって、ここではあえて以前のメンバーの時の曲を。

THE SPECTATORが陽なら、HAT TRICKERSは陰のような雰囲気とぼくは勝手に思って聴いてるです。

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PIG FOOD(群馬)

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写真検索してたらメルカリに出品され、SOLD OUTになってました。

北関東POGO ATTACKという、当時一大センセーションを巻き起こした北関東3県バンドの3WAYに収録されてた群馬代表ドランクパンクPIG FOOD。ちなみに他のバンドは、THE パンパ〜ス(栃木)と、ROTTEN BEANS(茨城)でした。

マモル(Ba. Vo.)は結構とんでもねーやつ現れたな〜と思ったけど、一見マトモそうなタケボー(Gt.)も結構ネジぶっとんでたし、ケイワ(Dr.)なんかネジ100本くらい足りない感じで最高なメンバーだった。今はタケボーがドラムになり、イッシー(ex. DEAD MOUSE)がCOOKING CASPERと掛け持ちしながらギターという編成。

このバンドに出会って、北関東というか足利のシーンの人達と仲良くなれたので、ぼくにとっては結構デカい存在のバンドだったりもするのです。

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THE DRUNK BOi!S(北海道)

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今回のブログ更新のきっかけになった札幌のTHE DRUNK BOi!S

コード1コだけで曲やってみたり、メンバー3人のコーラスの掛け合いが上手かったり、メロディが一度聴いたら忘れられないくらいの曲だったり、POGOパンクのバンドの中でも特に目立って音作りをしてたような印象があったのです。当時はメンバーにマイちゃんがいたので、女性のコーラスが入るPOGOバンドって、(うちらSMASH COCKSは女性ボーカルだったけど)他にあんまいなかったような気もする。いたっけ?あんま覚えてないやw

この世代のバンドが今でも同じようなスタンスで、新しい曲をやりつつも、昔からやってる曲をずっとやっちゃうの見てると不器用な感じもしつつ。それがすごくカッコ良く見える。ぼくにとっての青春パンクってのはやっぱりこういう感じ。

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THE ERECTiONS(広島→東京)

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当時は「ワシらが広島のTHE ERECTiONSじゃ〜!」なんて言葉からいつもライブを始めてたエレクションズも、ケンタローが東京に出てきてからはすっかり東京のバンドになってしまった感。昔はDISCOKSのフォロワーバンドだなんて揶揄する声も結構聞いたけど、ケンタロー本人がそこをまったく気にする事もない感じでひょうひょうとライブやってて、そして気付けば元DISCOCKSのナカチンさんがギター弾いてるんだから、そう考えるとケンタローは貫き通しててすごいなっていつも思う。

ちょっとした用事で出かける時ですらトロージャンをばっちり立てて、鋲ジャン着込んで出かけたり、その格好でティッシュ配りのバイトとかしてて、気付けばパズドラのCMに出てたり、ソニーウォークマンのCMに出てたり、極めつけは乃木坂46のPVに出てたりと、なんだかマルチな動きをしてますが、だからといって、全く驕ったような態度にもならず、そういうところがケンタローが好かれる所なんだと思う。というような事を本人に言うと「当たり前じゃろ、だってワシよ?」みたいな事言われそうだから、面と向かっては言わないw

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仕事中にふと思いついて書き始めたものの、ちょくちょく忙しいタイミングがあって、あんまり書けないうちにもう19時ですよ。

まだまだ書きたいバンドの事はあるのですが、ひとまずこの辺で。なぜならもう帰りたいから。

という事で、次回更新は未定。震えて待て!忘れた頃に更新予定。

 

思い出し日記的なやつ【その3】

 えっとですね、6月頭に番外編を更新してからですね、そろそろ次のを更新しなきゃなーしないとなーと思ってたんですけど、なんだかんだとライブだとか、仕事だとか、ツイッターだ、コミケだ、と個人的に忙しかったりなんだりして、放置してました。

 別に求められて書いてる物でもなかったので、まぁいっかなーなんて思いつつも、昔から知ってる友人達からは「懐かしいねー、あの時はこうだったねーw」なんてお言葉をもらったりもしつつ、まぁ言っても思い出し日記なので、過去の事を記憶にとどめておけるうちに書いておこうと、そう思ったりしたのです。重い腰が上がったのです。

 

 とはいえ、番外編をはさんだ物で、前回どこまで書いたかあんまり記憶に残ってないので、今過去のやつを読み返したとこー。ふむふむ。

 

前回のやつ

思い出し日記的なやつ【その2】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

さらにその前

思い出し日記的なやつ【その1】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

 

 前回のを読んでみると、若かりし頃のりょーちんがいよいよUNDER GROUND RIOTなパンクシーンの中に飛び込んだくらいの所で止まってました。

 こんなトコ↓

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 左上の方に緑のそでの鋲ジャン着たメガネのパンクスがOi! Oi!と手をかかげてますね。そうです、僕です。ライブをやってるバンドはそうです、THE DiSCLAPTiESです。前回日記の最後の方に、TAKA-44氏に誘われ始めて行ったディスクラのライブですっかりハマってしまい、ディスクラがライブをやるぞー!と聞けばあっちゃこっちゃ行ってたもんです。

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 当時聴きまくってたディスクラの1st album "LET'S START PUNK PARTY"

新宿・渋谷のタワレコでも取り扱いがあった辺り、当時の勢いのよさがありますね。

 

 その当時(大体2003〜2004年頃)POGO PUNKやSTREET PUNKと言われるキャッチーなメロディーのハードコアパンクが流行っておりまして、特にディスクラは勢いがあったバンドでした。ライブも多かったし。だいたい小岩eM seven池袋マンホールもしくはAdmあたり、ちょっとゴリゴリな企画だと初台WALL西荻窪Wattsってな感じでした。

 で、とりあえずそれなりに客が入ってたとは言え、すんげーバカみたいに客がいるってわけでも無かったので、何回か通ううちにディスクラのメンバーとも親しくなり、バーベキューしたりもしてたw

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 当時のメンバーはアライさん(Vo. Gt. / 現 RAISE A FLAG)、コージ・ジャージ(Ba. / 生きてるみたいだけど消息不明w)、シュンさん(Dr. / 現 STAGNATiON / C / THOUGHT CONTROL / LOST PARTY)の3人。アライさんはほとんどお酒飲まない人で、対照的にシュンさんとコージがとにかく泥酔。ドランクパンクを体現してるくらいひどい飲みっぷり。いつもワインのボトルとか焼酎のボトルとかを抱えながら500ml缶のビール飲んでたw そんな感じな雰囲気と、キャッチーな音の雰囲気から、当時の若い連中から圧倒的支持をうけてたような気がしてます。

 ディスクラのメンバーは、年が10個くらい上の先輩バンドでしたので、なんかやたらと可愛がってもらってました。特にシュンさんとは、その後10年以上に渡り、船橋で事ある毎にと言うか、事無くても飲み歩く仲になったり、一緒にバンドやったりするようになるとは当時思ってもいませんでしたw

 

 と、ここまで書いててディスクラの紹介文みたいになって来てるぞと思ったので、話題の方向性を修正。とりあえず毎回いる客はそのうち仲良くなり、いつもつるんだりするようになったのですが、ライブ経験も浅い若手バンド達の中でも当時精力的だったのが、4 SPiKESでした。4 SPiKESを中心にして、池袋パンクシーンなんつー物も出来始めたというか、勝手にのたまってたというか、とにかく、その中にいる事がまぁ楽しくてしょうがなかったです。

 余談ですが、今村さん(TOM & BOOT BOYS)からは数年前に「今もまだ(シーンに)残ってるから言うけどさ〜、当時は言わなかったけど、池袋軍団みたいなの、アレ嫌いだったんだよね〜笑、すごく内輪感あったし、ガキっぽかったし、皆数年でいなくなると思ってたよ〜笑」的な事を言われ、その話を井上さん(下北沢KILLERS)に話すと「ぼくも嫌いだったね〜笑」と言われましたw当時他の地域のバンドとか、ちょっと上の世代と中々対バンする企画がなかったのはそう言う事だったのか、なるほど、と思った物ですw

 この位の時期って、ちょうどTOM & BOOT BOYSが活動してなくて、POGO MACHiNESHiT-FACED辺りが、いわゆる若手バンドの最前線にいるような感じがあり、今でもこの2バンドはぼくにとっては凄く思い入れがあり、特別かっこいいバンドの筆頭でもあります。

 

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4 SPiKES。みんな派手でしたね当時w

 

 当時他によく見ていたバンドと言えば、Boob$ Shit、NO EVACUATiONS、CHARGed BRUTALITIES、ONE ANMED BANDiT、Stoops、DISDOMESTIC VIOLENCE、EFFECT、mind of asian、、、うーん、もっといたけど思い出せないw当時の日記的な物がネットの海で見つけられるかなと思ったら、魔法のiらんどのページは消滅、ポケスペも消滅w今は職場だから、過去のフライヤーとか漁れないw

 まぁとりあえず、もっとたくさんのバンドを見てました。今も活動してるバンドもいれば、解散しつつも他のバンドをやってる人達もいるし、今はどこで何してるのかもわからない人達もおるわけです。

 そんなこんなで、「バンドやろうぜ!」な雰囲気が今よりもつよく、また若いのがたくさんいたので、バンドくらいしかする事ねーわ、って人達がわんさか集まってたくさんのバンドが生まれる事になるのです。

 ご多分にもれず、ぼくのとこにもバンドやりませんか?のお話が。タマ君から、「カオリちゃんからバンド誘われたんだけども、他のバンドをやる事で動いてたから断ってしまって、りょーちんギター出来る?」というお話。ちなみにタマ君が組んだバンドというのが、The DiSCLOWTER。そんで、あたしもまぁ暇だったりもしたので、「やるやるー」と。

 んで、カオリに連絡し、「とりあえずベースは決まってるからまず3人で会おう、ベースの人は会った事ないと思うから紹介するよ!」なんて話に。

 新宿駅前で待ち合わせをし、到着を待っていると、2人の老婆が「あのーすみません」と、道聞かれるのかと思ったら「今お時間ありますか、素敵な話があるのでよろしければお茶でも」って逆ナン?いや、宗教の勧誘かマルチだ、めんどくさそうだしそんなクソみてーなもんやらねーよ!見ろよ鋲ジャン着てるんだぜ、パンクだからな!って思いを精一杯こめつつ、相手を傷つけないようにやんわりと「あ、待ち合わせしてるんで、、、」と断る。すると、視界の端で笑ってる男女が。カオリとノリタカ君でした。終始見ていたそうです。助けてよ(泣)

 そんで、どっかの喫茶店かなんかに入って、まずバンド名を決めようと。カオリがボーカルだから、女Voのパンクバンドとして、男なんかに負けないぞ!みたいな名前にしたいというテーマが。なんやかんや話をした結果、SMASH COCKSというバンド名に落ち着いたのです。

 あとはドラムを探すだけだ〜!なんつって話になってた所、まちゃんが「ドラムやっった事無いけど練習するからやりてー!入れてくれ!」って名乗りを上げてくれたので、よしやろう!と。これでメンバーが揃ってやっと練習できる状態になったのでした。改めて、メンバーは、KAORI-CAT (vo.) RYOCHiNG (gu.) NORi-TAKA(ba.) MAッチャン(dr.)の4人です。

 

 えー、ここまで書いて疲れました。上から読み返すとたいして書いてないんだけど、色々思い出しながら書くのはアタマ使うんですね。

 次回からはSMASH COCKSの活動のお話を書いていこうと思います。

 今度こそ少し早めに更新するぞー。多分。

思い出し日記的なやつ【番外編】

 過去の記憶を掘り起こしながら、ブログをその2まで書き、はやくも番外編。

 当時の思い返しではあるので、実際は番外編ではなくて、話を膨らませる物になるんだけど、それが膨らみすぎるのかなぁと思ったので、番外編という形にしました。

 

 今日2017年6月5日で、世界が日本に誇るD-beat master こと、DISCLOSEの川上さんが亡くなられて丁度10年になるのですね。

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 個人的に交流があったわけではなく、ただ一方的に憧れ尊敬してる川上さんとの少しばかりの思い出を10年の節目なので記しておきたいなと、思ったので。川上さんの人となりといったような話は出来ないので、その部分を知りたい方はK-CLUBさんのブログを読んでいただいた方がいいですね。オーナーの井上さんの書く川上さんへの愛の溢れたブログはすごく面白いです。

 今日は世界中のD-beat狂いの人達がDISCLOSEの音源を聴き、DISCLOSEのTシャツを着て過ごすのではないのでしょうか。かく言う自分も、今日はKAWAKAMI FOREVER 2015のTシャツを着て出社、会社に着いてすぐにこのブログを書き始め、仕事の合間合間に書いているわけですがw

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 ぼくがDISCLOSEを初めて聴いたのは、2003年に男道レコードからリリースされたTERRO-RHYTHM #1でした。それまでは海外のパンクとかはまぁ有名どころはそれなりにって感じで聴いてはいたのですが、日本のパンクで、しかもハードコアパンクにはまだまだ疎く、埼玉の田舎ではあまりそういった音源やバンドの情報を得る事が出来ませんでした。前回のブログに書いてた後半の辺り、原宿に行きまくってたのがちょうどそのくらいの時期かなーと。

 んで、原宿行ってから新宿のディスクユニオンに行くなんて事が結構増えてきて、新宿のディスクユニオンで、前述のTERRO-RHYTHM #1がリリースされた時にそれを手に取りました。その時は当然、男道レコードというレーベルを知ってたわけでもなく、そのVAに参加していたバンドを知っていたわけでもなく、ただ800円という値段に惹かれて買ったのを覚えています。収録バンドは、DISCLOSE、It's You、CONTRAST ATTITUDE、CONGA FURYの4バンド。後々、男道レコードの名物激安最高級コンピとして、CONGA FURY以外のバンドは入れ替えで#7までリリースされてました。どれも極悪最強最高な音源なので、興味のある方はぜひ聴いてみてください。リンクはDiscogsのTERRO-RHYTHMのページ ↓

Terro-Rhythm - CDs and Vinyl at Discogs

 話がそれたけど、そのVAを聴き、轟音D-beatにやられたんですよね。1曲目がMass Death And Destructionで、「すげー激しい音なのに、なんでこんなシンガロング出来ちゃうような歌詞なんだ!」と。実は高校2年生の時にだんだんパンク・ハードコアが馴染んできて、少ないバイト代を使い色々中古で買うようになって、もちろんDISCHARGEも買いました。Clay Punk Singles Collectionというシングル集だったんですが、

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実は買った当初は耳に馴染まなくて、あんまり聴かず、初期パンクや、ADICTSBLITZと言った、聴きやすく歌いやすいパンク・ハードコアに傾倒してた当時のぼくにはDISCHARGEのカッコ良さがあまりピンとこず、数回聴いてお蔵入りしてたんです。だからDISCLOSEを聴いた時に、それがDISCHARGEのスタイルを継承しているとはすぐには気付かなかったんですよね。だからDISCHARGEを好きになるきっかけが、DISCLOSEだったいう、普通なら逆だろというそんな事になったのですw

 それと、D-beat好きな人の家に行けばだいたい置いてある、DISCLOSEディスコグラフィーRaw Brutal Assault Vol. 1・Vol.2が発売され、これもとにかくひたすら聴き続けたのでした。

 それでまぁとにかくDISCLOSEにやられ、しびれ、でも高知のバンドだから中々見る機会がないなぁと思ってたら、そのVA・ディスコグラフィーが出た翌年の2004年5月3日、高田馬場AREAにてCONFLICT FOR FREEDOMという大きなイベントがあり、そこにDISCLOSEが出演すると。作ったばかりの鋲ジャンにVARUKERSのTシャツを着ていったのをよく覚えています(というかそのVARUKERSのTシャツ、ボディが白なんだけど、緑に塗った鋲ジャンの袖のポスカが汗で一部Tシャツにしみ込み落ちなくなり、それで覚えてるんだけどw)。TOM & BOOT BOYSや、POGO MACHINEEXTINCT GOVERNMENTHAT TRICKERSも楽しみだったんだけど、でも一番はやっぱりDISCLOSEだった。CONFLICT FOR FREEDOM 2004のビデオを持ってる方はDISCLOSEの時にハット被った鋲ジャンがステージ前を右へ左へピョコピョコ動き回ってるのを見る事ができますが、それが19歳の私ですwちなみにそのライブの帰りにまちゃんを誘ってSMASH COCKSが形になるのですが、その話はまた今度。

 その時は物販でステッカーとバッジを買ったと思います。ちょうど物販に川上さんはおらず、なぜか物販にいたリッキーさん(EXTINCT GOVERNMENT)にお金を払って買ったのを凄く覚えています。あれはあれで凄く緊張したなw

 そのステッカーをプラスチックのバッグに貼って、専門学校に通ってたんだけど、喫煙所にいた時に、学校の教員室の事務担当のお兄さんというか職員なんだけど、その人がステッカーを見るなり、「あれ?川上君まだDISCLOSEやってるの?」って言ってくるから、なんだこの人わ??と思ったら、ANODEの初代ドラマーだったそうで、男道からEPをリリースした際に高知に行き、川上さんと男道オーナー井上さんから死ぬ程酒を飲まされたって話を聞かせてくれましたw

 次にDISCLOSEのライブを見たのはそれからだいたい1年半後くらい、2005年下北沢のベースメントバーでのライブ。その時は他でなんかおっきいイベントがあったみたいで、皆そっちに行くと言い、タマ君(当時 TOiSRUS)と2人で行ったのでした。会場につくと、ちょうど機材搬入してたタイミングだったようで、DISCLOSEワゴンが会場前にドカーン!と停めてあって、それ見てタマ君とぼくは完全にミーハーになり大興奮!大きいイベントのウラだったし、DISCLOSE以外の出演者はハードコアバンドでは無かった記憶があるけど、誰だったか覚えてないようなイベントだったためか、かなり客は少なかったのを覚えています。

 最前に張り付き、川上さんのすぐ前に陣取り、間近であの轟音を体験したのでした。始まる前に置かれているアンプやギターやエフェクター類をタマ君と2人ですげーすげー言いながら見てました。そのライブで撮った川上さんの写真がこれ

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当時のガラケー画質&mixiにアップロードしてた写真を引っ張ってきたからかなり画像が荒いけど、こんな間近で見れたのが今でも夢ではなかったと思わせてくれる大事な写真です。ライブ終わって川上さんが片付けを始めた瞬間にタマ君が「セットリストもらっていいですか!?」ってモニターに貼ってあるセトリもらってたけど、タマ君普段そんなキャラじゃないからビックリしたw川上さんも「ええよ〜持ってって〜」って。

 そんで物販に行き、DISCLOSEの刺繍ロゴワッペンを買ったのです。

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このとき、このロゴと同じスタンプが押されてる小さい紙袋に入れてくれて、「うおおかっちょいい!もう1枚この袋欲しい!」と思ったので、その紙袋目当てですぐ缶バッジを買いに再び物販に行くと、川上さんが「あれ?さっき買ったばっかよね?」って言ってくれ、紙袋が欲しくてまたバッジ買いにきましたと伝えると、ガハハと笑った後に、「こんな紙袋でよかったら、毎回持ってきてるから、そんな焦らんでも、またライブしに来た時に買いにきてくれたらいいのに」ってすごく優しい笑顔で言ってくれて、「東京にもたまーにライブしに来るから、また遊び来て、今日は来てくれてありがとう」って言ってくれたのは今でも凄く覚えてる。

 結局、個人的にオーストラリアへ旅立つ日にDISCLOSEが東京でライブをやる事があって見に行く事が出来なかったり、仕事の都合で見に行けなかったりと、その後はライブを見る事が出来ず、その下北沢のライブが最後に見たライブになってしまったのでした。

 2007年の6月からぼくは仕事で仙台に引っ越す事になり、6月4日に仙台入り。そして川上さんの亡くなられた翌6月5日、まだ部屋にコンポが無かったので、iPodをスピーカーにつなぎ、DISCLOSEを聴きながら新生活の準備をしてたのです。翌日、mixiを見ていると、川上さんの訃報が。いや、昨日DISCLOSE聴きながら新生活準備してたのに!と凄く動揺しました。

 川上さんの動向は気になっていたので、Goatworshipperも当然チェックしていたし、その影響でハーシュノイズも聴くようになり、また世界中のD-beatバンドもたくさん聴くようになっていました。THE CRANKSディスコグラフィーBACTERIAのデモ音源集がドーン!と発売されても、しっかり訓練された川上マニアになってたぼくはすぐに買いに行ってました。悪魔教までは手を広げなかったけどw

 その年の秋にDISCLOSECONTRAST ATTITUDEでツアーをやる話も聞いていたので、その時は東京に行って見ようと心待ちにもしていました。ぼくなんかより、川上さんや、近い方達はもっと悔しい思いだったんだろうなと今はそう思います。

 そして、川上さんが亡くなってから1年以上経って、仙台から東京に遊びに来ていた時に、初台WALLになんかのライブを見に行ってたのですが、その時に軍シャツに縫い付けているDISCLOSEのワッペンを見た女性が「川上のこと好きなん?」って、聞いて来たので、前述のANODEのドラマー遭遇事件同様、なんだこの人わ??って思いつつ話していたら、どうやら川上さんの彼女さん。亡くなられてから少し経って、吹っ切るためにもと東京に出て来て生活し始めたばかりだったみたいです。そんな話をしてたけど、ハットリのケンジさんのように何故か白塗りメイクをしてた(その日だけ)ので、それもあってか、あまり哀しい感じにはならず、「これからも川上の事好きでいてあげてー」と言い、最後に缶バッジを一つくれました。

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「このバフォメットの缶バッジなー、川上がつけてたやつなんよ、遺品!川上好きな人にあげるわ!」って言ってぼくにくれました。その後数回ライブハウスで会い、バッジ見る度「ちゃんとつけてくれてるー!」って言ってくれました。その数年後に亡くなった話を聞きました、今でももらったバッジ大事にしていますよ!!

 そして今現在もDISCLOSEが残した作品の影響は世界中のバンドにDISNIGHTMARE STILL CONTINUESしているわけですが、ぼくもいまだにそのナイトメアがスティルコンティニューしてる状態です。とは言っても、ごりごりのD-beatをやるでもなく、ファッションを真似るでもないのですが、自分の節目になるような時、気持ちが乗らない時、気持ちが乗ってる時、色んな時にDISCLOSEを聴いては奮い立たせているのです。

 今ではLiFEがたまにCONQUESTのカバーをしたりしていますが、やっぱり凄く盛り上がりますね。DISCLOSEのTシャツを着て歩いてると、たまに外人さんから声かけられたりもして、相変わらず影響力が果てしない人だなーと思います。

 これからもDISCLOSEは好きでい続けると思います。そんなこんなで

KAWAKAMI-FOREVER!!!!!!!!!!

 縁もゆかりもほとんど無い、一ファンの戯言と回想録長々と失礼しました。

 

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ちなみに、このI♥C-BEATバッジはCONGA FURYのもので、ぼくはCONGA FURYも大好きだったので、物販に置いてあった時に迷わず買いましたw

思い出し日記的なやつ【その2】

 前回の思い出し日記的なの書いてからざっくり1ヶ月経ってました。

こんにちわ。

 前回のを書き終えた時は、CHARGeD YOUTHやりきったのと、久々に鋲ジャン着てコーラスしてみたりして興奮覚めやらずだったため「今の気持ちをガーッと書くゾ!」みたいな思いがあったのですんなり書けたし、なんなら書く事が多くて書ききらないからとりあえず何個か続きで書いてみようかなーTwitterだと文字数あるし、みたいな気持ちだったんです、本当ですよ(言い訳)

 

 とりあえず、今回のを書く前にまず前回のやつ

思い出し日記的なやつ【その1】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

 んで、これに関しては、読んだコナーから「間違えてる!訂正しやがれ!」とのお叱りのLINEがタイムラグもなく届く、21世紀ってすげぇ、あ、すみませんw

んで訂正。

 まずgigantick not dead! watts never die!!!ってスローガンをコナー発信て書いてたけど、正確に言えばよっしーさんがコナーに言った物を、ぼくはコナーのインスタを見て知ったという顛末ですね、ふむふむ。んで、結構みんなCHARGeD YOUTHをコナーバンドって言ってたから、えー!って思うかもしれないけど、バンド自体の発案者はよっしーさんでした。バンド名はコナーが決めたと。そういう事だったんですね。なるほど。失礼しました、ここで訂正いたします!I'm so sorry, I will correct it here!

 

 と、前回の内容を訂正しつつ、今回は何書こうかなーってとこなんですけども、今回は自分語りなのであんま面白くない感じです。はぁ(´・_・`)

 簡単にパンクとの出会いを申しますと、時は1997年世の中は、第何次か知らんけどバンドブームで特にビジュアル系が流行ってました。中学生になった純粋なぼくは真面目にお勉強もしつつバンドの魅せるチョイ悪な感じに惹かれていき、親父が持ってたギターをもらいビジュアル系からの、TMGEブランキーTHE STREET BEATSなどの不良少年達の歌にハマっていくのでした。ちなみにその前は小室ファミリー大好きマンでした。

 んで、中3になるとベースをやってる同級生から「Green Day聴いてみなよ、パンクだよ」と言われCDを貸してもらったのですが、中学生の少ない知識で「パンクってSex Pistolsの事じゃないの?」って思い、借りたCDはすぐ聴かずに自転車に乗り近所のジャスコに行き、Sex Pistols【KISS THIS】を買ったのです。ジャスコで、大事な事なので2回言いました。ほんで、ピストルズと言えばもちろんの【勝手にしやがれ】を買うつもりが、【KISS THIS】の方が収録曲が多いって事で、切ない中学生のお小遣い事情で、少しでも多く曲が聴けたらいい!の精神で、初のパンク音源はSex Pistolsの【KISS THIS】に。まぁその後アホ程聴き込んだし、今でも聴く愛聴盤ですな。

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 初めてピストルズを聴いた瞬間に「今まで聴いてた音楽はなんと行儀の良くてつまらないものか!」と思い、初期衝動で当時買ってたビジュアル系のCDはどーんと売り払ったのでした。今たまに聴きたくなるので、思い早まって行動するのはよくないと思いますよ、教訓です。

 ほんでですよ、まぁその同級生となんやかんやとGrenn Dayのコピーに明け暮れつつもしっかり高校受験して、お勉強人生の中学生なぼくは1月の半ばには都内の私立高校に推薦で合格しちゃうっていうお利口さんでした。周りが受験勉強にあけくれ、暇になったため、近所のレンタルビデオ屋にいき何か借りようとフラフラしてると、

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この2タイトル、THE GREAT ROCK'N'ROLL SWINDLED.O.A.が置いてあったわけですよ。んで借りるですよ。旧作だから1週間レンタル。それで返却してはまた1週間を3回くらい。これで完全にバカになったwとくにロックンロールスウィンドルではSIDのマイウェイのシーンを、D.O.A.ではX-RAY SPEXのシーンを繰り返しみてたなー。

 んで都内の高校に通いだし、原宿が近かったもんでしょっちゅう原宿に行ってた。当時はSEXY DYNAMITE LONDONが数店舗原宿にあり、セクシーとJIMSINNと、666に通ってたのかな。A STORE ROBOTもたまに行ってたけど「高くて買えねぇ!」と高校生の時にはほとんど買い物はしなかった(というか出来なかった)。

 聴く音楽も当時のメロコアブームに辟易し、初期パンクと、少しハードコア色の強いEPITAPHレーベルのバンド、つまりはRANCIDやらNOFXを聴いてたのでしたが、だんだんとRANCIDのメンバーの着てるTシャツのG.B.Hとは?DISCHARGEとは?と思うようになり、当時YouTubeもなかったので、DOLLを読んで調べて、御茶ノ水ディスクユニオンに行き中古で買ってきては聴き込むようになり、UK80'sのハードコアパンクに身も心もどっぷりとなったのでした。UK/DKも多分その流れで見たような、高校2年生とかそのくらい。あとよく聴いてたのは60’s MODSシーンのバンドかなー。この辺はピストルズから遡ってTHE WHOやSMALL FACESとか聴くようになったのがきっかけ。

 高校は大学付属だったのにろくに勉強もせず、成績も下から数えた方が早く担任からは「当校始まって以来のクズ」とまで言われたぼくはまぁ当然のように進学せずフリーターに。この時が2003年。バイトの無い日は原宿へ行きJIMSINNとセクシーに入り浸ってた。当時JIMSINNではアズサ君(STAGNATiON / C)が、セクシーではTAKA-44さん(TOM & BOOT BOYS)が働いていたので、よく話し相手してもらってたのでした。今でも付き合いがあるとも思ってなかったし、なんならアズサ君(当時結構怖かったw)と、Cで一緒になったり、STAGNATiONのディスコグラフィーの作成お手伝いさせてもらえるとも、当時は思ってもいなかったな〜。

 んでですね、ある日、深夜にやってた音楽番組でMCの子が44の着てた鋲ジャンを着てたのを見かけ、ぼくは44に「鋲ジャンの作り方を教えてください!!」って言いにいきましたwこの時18歳。そしたら44から「POGOパンクって知ってる?」と言われ、最初に教えてもらったバンドがTHE DiSCLAPTiES。ちょうどライブもあるし、同世代な人も結構来るから行ってみない?と誘われ、当時のたまり場となる小岩eM sevenに初めて行く事に。小岩駅の階段で44が来るのを待っていると、少し離れた所にBMXに乗ったモヒカンの同い年くらいの青年がいて、お互いパンクのかっこだし、チラチラ見てるんですよね。気まずくなってきて、「44早く来てくれー!」とナメック星のクリリンの様な気持ちになった所で44が来たのですが、するとそのモヒカンがこっちに来るではないですか。どうやら44と知り合いらしく自己紹介。それがユウト(The TiTS)なのでした。

 そして「小岩の駅近くのマックで待ち合わせしてるから」とのことで、着いていくと、GOUさん(4SPiKES)SHiNICHi(当時4SPiKES、現ASUKA AND THE BUM SERVANTS)まちゃん(SHOTGUN PLAYBOYZ)などなど数名がマック店内で缶のウーロンハイを飲んでたりするのでした。そのまま合流し、eM sevenへディスクラを見に行く。自慰天が出演してたのはすごくよく覚えていて、兵藤さんおっかねーと思って後ろに下がったのを覚えていますwその時ディスクラは2日連続でライブで、次の日は西荻窪Wattsへ。eM sevenもWattsもどちらも今はもう無いんですよね。懐かしいな。

 

 と、まぁこんな感じでいわゆるアンダーなパンクシーンのライブに行き始め、様々な方達との交流が深まり始めていくのでした。だいぶ長くなった気がするから今日はここまで。バンドを組むまではもう少しという所まできましたがここまでバンドらしいバンドはやってなかったので、ほぼ素人童貞状態。組むのは組んだがライブやらずとか、そういう感じでしたので。

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 当時44がやってたバンド、DiSSECTSのフライヤー。ハードなストリートパンクって感じでカッコ良かった。メンバーは、ボーカルがアヤトモ(DUSTPAN / RETORT )、ギターがYAMAさん(KAMISORI)です。

 んでは、今回はこの辺で。あんま需要ないけど、近々また更新します。多分、、、

思い出し日記的なやつ【その1】

 先日、429日にFrom England日本のパンクマニアでお馴染みのコナーがボーカルのCHARGED YOUTHというバンドにて、早稲田ZONE-Bからの、西荻窪PitBarへ移動しての2ステージのライブをさせていただきました。

 早稲田ZONE-Bdfer企画の金成さん、事前に色々無理言ってしまったのも快く引き受けてくださってありがとうございました。また、コナー来日時にいつもお世話してくれている下北沢KILLERSの井上さん、ZONE-B企画の橋渡しをしてくれた、きづく(BEER BELLY)もありがとうございました。

 実に10年ぶりくらいに鋲ジャン着てライブやって、OI! Oi!言ってみたり、POGOダンスしてる人たちを見たりして、すごく懐かしい気持ちになり、昔の事も結構思い出してきたので、特別需要もないだろうとは思うのですが、自分の思い出メモ的な感じで、数回にわけてブログ的な物を書こうかと。ツイッターじゃ140文字しか書けないし、mixiの日記はもう更新する気もないしw

 

 まず、CHARGED YOUTHとは、メンバーが、Vo. Connorex: The INJECTiONS)、Ba. Yossyex: GETTER ROBO, SHiT-FACED, the cancels,RECONSIDERATIONなどなど)、Dr. DiCK IWATAex:BOOB$ $HIT, now: THEノーフューチャーズ)、んでわたくしGu.Ryochingex: SMASH COCKS, THE NiTS, now: C, TODESTRIEB 4人組です。コナー以外は全員over30、まさに30's PUNX GO FOR IT!バンド。 

 CHARGED YOUTHの結成については、コナーが以前組んでいたバンド、THE INJECTiONS解散し、その後も日本に来ては個人企画をやってDJ GIMMICKとしてDJはしつつも、やっぱりバンドでライブをやりたかったみたいで、よっしーさんにそう言う話をしたら「じゃあやればいいじゃん」って事になり、よっしーさんもレコンシダ解散後だったので、巻き込み事故的にメンバーになる事が決まり、90's な日本のPOGO PUNKのカバーをやろうって事になったみたいです。そんで、よっしーさんからギター弾きませんかー?と言うお誘いをいただき、ではやりましょう!と。んで、コナーはイワタ君に叩いてほしいみたいだったので、しばらくドラム叩いてないし、やってくれるかなー?と思いつつイワタ君に連絡すると、そっこーで「いーよ。」とお返事いただきメンバーが決まったのでした。これが去年(2016年)の11月頃。この頃に、ぼくの方は、新しく始めたTODESTRIEBというバンドの初ライブの告知を開始したばかりだったし、よっしーさんは来たる2月のSTAGNATiONのワンマンで数曲ギターを弾くためそっっちに専念したいと言うのもあり、イワタ君もノーフューチャーズや仕事の都合もあるので年越すまで、というかSTAGNATiONのワンマンの日まで「ほんとにやんの?」くらいの気持ちでいたのでした。STAGNATiONのワンマンの日に3人顔をあわせたので、「んじゃそろそろやりますか」とw遅いw

 そして、今年の322日についに重い腰が持ち上がりスタジオに入るのでした。コンセプトと言うか、スローガンがコナーから発信され、それによると「gigantick not dead! watts never die!!!」との事。「コナーどっちのライブハウスにも行った事ないやん!」っていうのが満場一致でのツッコミどころだったけど、これライブの時いっさい触れなかったなーwそして、メンバー非公開的な感じでやる的な話を最初聞いてたから、当日まで余計なこと言えんなぁとか思ってたら。コナーがインスタでメンバー紹介もばっちりしてくれてましたというオチw別にいいけどw

 カバー曲はTHE DiSCOCKSを中心に、The Spiky JoysCharged LadsPOGO MACHiNE、そんでもってよっしーさんのいたGetter Robo、ライブでは演らなかったけどThe Spectatorsをやろうってなことで、10曲程度課題曲にし、コナー抜きでまず3人でスタジオに。各々違う雰囲気のバンドをやるようになったので、いわゆるPOGO・ストリートパンクな音楽はプレイしなくなっていたので、うまく出来るだろかと不安だったものの、さすが結構聴き込んでた曲達だったりするので、案外すんなりできたのでした。んで、この時点でThe Spectatorsがコナーから歌うの難しいって言われたのでやらない事になり、Expose82をやる事になったのでした。

 そもそもExpose82ってノイズコアな感じじゃんってのもあるんだけど、これには理由があって、当初は早稲田ZONE-Bでのライブのみだった予定が、同日に西荻窪PitBardferが開催され、こちらにTHOUGHT CONTROLが出るのでコナーが金成さんに頼んでdferに出る事にwPOGOバンドがdfer!?って不思議な感じもするのですが、快く引き受けてくれてありがとうございました。んで、そっちはノイズコア好きな人もいるし、Expose82やろう!という事で急遽やる事に。ついでにコナーには内緒で、CHAOS UKNo Securityと、MENACEG.L.Cも練習。この辺みんな大好きでしょ?w

 んでコナーが日本にきてから1回みんなであわせていざ本番。ZONE-Bではライブ前にPOGO MACHiNEのPOGO WITHOUT A CAUSEがずっと流れてて、テンションあがったなー。システムリジェクツウェイオブラ!

 

 早稲田ZONE-Bセットリスト

1. GO GO DiSCOCKS( The DiSCOCKS ) 2.Have your fun tonight ( The DiSCOCKS ) 3.Middle class melodies ( Charged Lads ) 4.Long live Oi! ( The DiSCOCKS ) 5.Fuckin' nazis annihilation ( The Spiky Joys ) 6.Oi! power ( The DISCOCKS ) 7. Pogo or Die ( POGO MACHINE ) 8.Guts of worker ( Getter Robo ) 9.Fucked up in the city ( The DiSCOCKS)

 

 西荻窪PitBarセットリスト

1.GO GO DiSCOCKS 2.Have your fun tonight 3.Middle class melodies 4.Pogo or Die 5.Long live Oi! 6.Fuckin' nazis annihilation 7.Oi! power 8.Guts of worker 9.Fucked up in the city 10.Daily life( Expose82 ) 11.No security( Chaos UK ) 12.G.L.C( Meance ) en.Life( Disorder )

 

 ありがたい事にPitBarではトリをつとめさせてもらったうえ、アンコールまでしてもらい、練習でやってないけど何となくできんじゃねーの?ってノリでDISORDERのLiFEを勢いでやる事にwよっしーさんのベースとイワタ君のドラムに頼ろうと思い、エフェクターのツマミを全部目一杯あげてフルボリュームノイズにし、ぼくは事なきを得ましたw

 

 そんなこんなで、ライブは無事に終わり。コナーがまた10月に遊びにくる時に、今度は自主企画をやるらしいので、その時にまたやりたい!と。や、やるの!?や、やりましょうwどうなるかわからんけどw

 と、思い出し日記でダラダラ書いてたら結構な文字数書いてたので、今回ここまでにします。【その2】からはぼくが見てきたPOGO・ストリートパンクシーンの話とか書いてこうかと思います。きづくぐらいしか喜んで読んでくれなさそうだけどw

 

でわでわ(続

 

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