GAUZEの13年半ぶりの新譜を買ったというお話

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どうもぼくです。

 つい先日GAUZEの13年半振りの新譜『言いたかねえけど目糞鼻糞』が発売されまして、ぼくの周りでもすでに手に入れて聴いたという人も多いと思うのです。多分聴いたほとんどの人が背筋がビッとなるような思いをするアルバムだったのではと。一曲目の出音一発目からGAUZEだとわかるのほんと凄いなと改めて感じました。

 10曲14分弱のアルバム、文字面だけ見ると短いように感じるけど、いざ聴いてみると、とてつもない音と言葉と変わらないGAUZEの信念がこれでもかと詰め込まれていて、短さを感じない。普通楽しい時間だったりすると、体感時間はあっと言う間なんだけど、GAUZEの場合はそんな事がなくて、最初から最後までただただ圧倒されているため、時間の感覚がおかしくなる。演奏はいまだブレる事もなく、速い。とにかく速いしGAUZEの曲の特徴でもある、ストップ&ゴーが徹底されてるからメリハリもあって徹頭徹尾GAUZEだった。歌詞も強烈に刺さる歌詞が、シンプルに印字されたブックレットから物凄い圧を放っているように感じた。

 と、とにかくGAUZEは凄いバンドであるのは今もって変わらず。「久しぶりにライブ見たいな」なんて思いつつ、自分のGAUZE初体験はいつだったんだろうとか思ってたら色々思い出してきたので、ちょっとまとめて書こうかなと。ツイッターだと文字数的な関係もあるし、分割投稿するのはあんま好きじゃないし。

 

 37歳のぼくが産まれた頃にはもうすでに活動を開始していて、未だに第一線にいるGAUZE、ぼくが初めて聴いたのは約20年前の多分17歳の時とかだったと思う。デジタルリマスター盤のCDが発売されていたので、プレ値とかもなく普通に入手出来るようになっていた。とは言え、高校生の自分には新品定価でCDを買うか、中古で定価より数百円安いCDを買うかでかなり悩んだ記憶がある。散々悩んで収録曲数が多いという理由で『限界は何処だ』を新品で買った。

 ぶっちゃけ曲を聴くまでは名前だけ知ってる有名な日本のハードコアパンクのバンドというイメージしかなかったし、ネットも大して普及してない頃だったから調べようにも手段も少なかったし、まだハードコアパンクを聴き始めた頃だったから、どんな曲かも想像がつかなかった。そりゃその一年位前までは175Rとか聴いてたんだからしょうがないwハードコアと言われても、まだDISCHARGEやCHAOS U.K.などの80's UKを聴き始めた頃だった。ぼくら世代だとハードコアを聴く入り口になったのはRANCIDとかその辺というのが多い。

 なので、1曲目の『山深雪未溶』を聴いた時の衝撃はすごかった。イントロこそゆったり入るけど、その後の怒濤の展開に、荒々しい音、唸るようなボーカルが全部想像以上で、理解が追いつかなかった。初めて聴いた瞬間に恐怖心に近い感情を抱いたのは、DISCHARGEとCRASSとGAUZEだけで、未だにこれは変わらない。

 個人的に一番好きなアルバムは『面を洗って出直して来い』です。

 

 その後19歳くらいの時、バンド関係の友人も一気に増えて、ライブにも頻繁に通うようになった頃、HUMONGOUSとの共同企画で高田馬場AREAで7月半ばにやってた、通称「海の日GIG」が初めてGAUZEを見に行ったライブだったと思う。出演バンド数も客も多く、スゲー!なんて思ってたら、GAUZEが始まった瞬間にフロアの圧縮具合と酸欠度合いが急激に上昇。うっかり前の方にいようもんなら、たくさんの人の足が頭上を通過、なんなら頭ガンガン蹴られるくらいのたくさんのダイブする人達。男も女も若いのもおっさんも関係なく、前の方の客はみんな大暴れ。これはやばいと思って、少し下がって見る事にしてタバコに火を着けようとしたら酸欠状態で火がつかなかったというのをよく覚えてる。これがGAUZEのライブ初体験だったはず。

 

 そしてなんやかんやと時は経ち、一時GAUZEが活動を休止していた頃、ひょんなきっかけでモモリンさんと知り合う事に。当時通ってたアイドル現場絡みで、憧れだったFUCK ON THE BEACHのツヨッシーさんと知り合い、そしてツヨと呼べるくらいに仲良くなってたぼくは、いつものようにツヨとバカな話をしてゲラゲラやってたんだけども、ツヨの横にいる人が凄くかっこいいブーツを履いていたので、思わず「そのブーツかっこいいですね!」なんて話しかけたんだけども、その様子見てツヨはなんかニヤニヤしてた。ぼくはその時はまだ気付いておらず、帰りの電車の中で「どこかで見た事ある人だったんだよな〜」と一生懸命思い出していたら「モモリンさんだ!」と気付き変な汗がバーって出た笑、ロン毛になってた時だったから最初まったく気付かなかったのだった…それでツヨはニヤニヤしてたのか…

 その時期はモモリンさんに遭遇する機会も多く、モモリンさんもぼくの事を覚えてくれていて、普通に話が出来るようになったのとか今考えても凄い事だなと。一度大阪に遊びに行ってた時にアメ村付近を散策してたら「おーいりょーちーん!」なんて声かけられて、振り返ったらモモリンさん!て事もあり、めちゃくちゃ驚いた事もあった笑

 モモリンさん以外のメンバーさんと話をした事がないというか、声もかけられないのでどんな感じかはわからないんだけども、モモリンさんはすごく気さくな方で、話をする時はいつもステージで鬼気迫るギターを弾いてる人とは思えないくらいにニコニコしてるのが印象的でますます好きになったのです。

 

 というような事を思い出してた時に、GAUZEにまつわるエピソードをもう一つ思い出した。この話を書こうと思ってツイートしようかと思ったけど、ツイートすると長くなりそうだったから、ブログにしようと思ったのがきっかけだったので、ここからが本編的な。

 ぼくは結構長い事免許を持っておらず、32歳になった時に仕事を辞めて暇があったから免許合宿に行って免許を取る事にしたという遅咲きドライバーで、免許を取得してからまだ5年程しか経ってない若造ドライバーなのでもある。(免許とって2年で、Cのツアーの時に福岡から大阪までの道のりの3分の2、大阪から三重、三重から東京までを運転する事になるとか思ってなかったけど笑)

 んで、免許合宿の地に選んだのが新潟県糸魚川。理由は、母方の実家が新潟なのと、ぼくも生まれは新潟市なのもあり、新潟行きたいと思ったからという理由なんだけど、糸魚川は富山との県境な土地なので、行ってみてそこまで新潟感はなかった。と、まぁこんな話は別にいい。

 そこの教習所の教官は、優しい人ばかりで田舎の純朴な教習所って感じだった。ぼくは組み合わせ的に全然当たらなかったけど、一人鬼教官がいると聞き、合宿に同じタイミングで来てたぼくより年上の人が「あいつやだわ〜」って毎晩言ってた。まぁ当たらないからいいか、と思ってたら、その教官に一度だけ当たった日があった。よりにもよって、縦列駐車とか、初心者は苦手なとこで当たったから変な緊張をしてた。

 

 50代後半くらいの倉石さんという教官はシュッとしている、ややコワモテのおじさまって感じで、言葉数も少なく、声も大きくなくて、こりゃ若い子はビビるわなって雰囲気の人だった。

 教官が車に乗り込み場内をぐるぐる。運転をかわってぼくがぐるぐる。「じゃあ縦列やるか」と言われ「押忍!」なんて言いながら場内の縦列練習用の場所に向かっていた時に、ぼくの着てるTシャツを見て

教「君はあれか、パンクとか好きなのか」

とか言い始めた。なんのTシャツを着てたかは覚えてないけど、バンドTシャツだったと思う。

りょ「パンク好きですし、バンドもやってます。都内でライブしてたりもしてます」

なんて返すと

教「東京か〜、俺は昔高田馬場に住んでた事があってな」

とのこと。こっちは縦列うまく出来るか不安でドキドキしてるので「はぁ」なんて返してたら、

教「君は30歳くらいだっけ?そのくらいの年齢じゃ知らないよな、GAUZE

なんて言ってた。ん?GAUZE?いやいやよく知ってるわ!と思い、

りょ「GAUZE知ってますよ、大好きなバンドです」

と伝える。すると、

教「俺はさー、その昔GAUZEにいたカトーイチローと仲良かったんだよ、知ってる?コブラツイスターズの加藤」

りょ「知ってます、イチローさんがGAUZEにいて、コブラツイスターズになったのもC-BAやってたのも知ってます」

教「ほー、知ってんだなー若いのに。俺は加藤と仲が良かったからさ、まぁパンクってよりもロックンロールな側にいるのが多かったから、当時のパンクの話とか聞かれてもあんまり知らないんだけどな」

みたいな会話をした。その頃はGAUZEの活動休止時期だったのもあるけど、未だに解散はせず日本のハードコアパンク第一線でいまだにやってますよ、なんて言うと少し嬉しそうな顔して、

教「まぁ向こうはもう覚えちゃいないんだろうけどさ、GAUZEのメンバーとはよく高田馬場で飲んだりしてたんだよ。懐かしい事思い出したなー。若い子でロック好きとか言ってる子もよく教習にくるけど、流行物のロックでもないようなのをロックって言ってるような子ばっかりでな。君みたいにちゃんと知ってる子が来たのは初めてだからな、こういう話を教習生にするのは初めてだな」

なんて言ってて、全然この人怖い教官じゃないじゃん、なんて思ってた矢先に、縦列練習用のポールにおもっくそぶつけて、結構しっかり怒られた。

 その教官も音楽やりたくて東京を目指したクチだったらしいけど、夢破れというか、現実を見る事に切り替えて地元・糸魚川に戻り教習所で働くようになったらしい。だからコブラツイスターズが売れた時には、自分ももしかしたらあそこにいたのかななんて思ったそうで。今は趣味仲間でロックバンドを結成して、地元で細々と趣味程度ではやってるんだ、なんて事も言ってた。

 もっと色んな話をしてみたかったけど、その教官に当たったのは、後にも先にもその日のその時間限りだった。相変わらず、合宿所の同期のような人は「あいつやだよー」なんて毎日言ってたけど。

 

 というような事を、GAUZEの新譜を聴いてる時に思い出したので書き起してみたのでした。まだ手に取ってない方はぜひ。そして、GAUZEを聴いた事が無いという方もこの機会にぜひ。

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最近のあてくし、GAUZEのSAVE THE LIVEHOUSE Tシャツ着すぎ問題

 

次回更新未定!!