思い出し日記的なやつ【番外編】

 過去の記憶を掘り起こしながら、ブログをその2まで書き、はやくも番外編。

 当時の思い返しではあるので、実際は番外編ではなくて、話を膨らませる物になるんだけど、それが膨らみすぎるのかなぁと思ったので、番外編という形にしました。

 

 今日2017年6月5日で、世界が日本に誇るD-beat master こと、DISCLOSEの川上さんが亡くなられて丁度10年になるのですね。

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 個人的に交流があったわけではなく、ただ一方的に憧れ尊敬してる川上さんとの少しばかりの思い出を10年の節目なので記しておきたいなと、思ったので。川上さんの人となりといったような話は出来ないので、その部分を知りたい方はK-CLUBさんのブログを読んでいただいた方がいいですね。オーナーの井上さんの書く川上さんへの愛の溢れたブログはすごく面白いです。

 今日は世界中のD-beat狂いの人達がDISCLOSEの音源を聴き、DISCLOSEのTシャツを着て過ごすのではないのでしょうか。かく言う自分も、今日はKAWAKAMI FOREVER 2015のTシャツを着て出社、会社に着いてすぐにこのブログを書き始め、仕事の合間合間に書いているわけですがw

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 ぼくがDISCLOSEを初めて聴いたのは、2003年に男道レコードからリリースされたTERRO-RHYTHM #1でした。それまでは海外のパンクとかはまぁ有名どころはそれなりにって感じで聴いてはいたのですが、日本のパンクで、しかもハードコアパンクにはまだまだ疎く、埼玉の田舎ではあまりそういった音源やバンドの情報を得る事が出来ませんでした。前回のブログに書いてた後半の辺り、原宿に行きまくってたのがちょうどそのくらいの時期かなーと。

 んで、原宿行ってから新宿のディスクユニオンに行くなんて事が結構増えてきて、新宿のディスクユニオンで、前述のTERRO-RHYTHM #1がリリースされた時にそれを手に取りました。その時は当然、男道レコードというレーベルを知ってたわけでもなく、そのVAに参加していたバンドを知っていたわけでもなく、ただ800円という値段に惹かれて買ったのを覚えています。収録バンドは、DISCLOSE、It's You、CONTRAST ATTITUDE、CONGA FURYの4バンド。後々、男道レコードの名物激安最高級コンピとして、CONGA FURY以外のバンドは入れ替えで#7までリリースされてました。どれも極悪最強最高な音源なので、興味のある方はぜひ聴いてみてください。リンクはDiscogsのTERRO-RHYTHMのページ ↓

Terro-Rhythm - CDs and Vinyl at Discogs

 話がそれたけど、そのVAを聴き、轟音D-beatにやられたんですよね。1曲目がMass Death And Destructionで、「すげー激しい音なのに、なんでこんなシンガロング出来ちゃうような歌詞なんだ!」と。実は高校2年生の時にだんだんパンク・ハードコアが馴染んできて、少ないバイト代を使い色々中古で買うようになって、もちろんDISCHARGEも買いました。Clay Punk Singles Collectionというシングル集だったんですが、

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実は買った当初は耳に馴染まなくて、あんまり聴かず、初期パンクや、ADICTSBLITZと言った、聴きやすく歌いやすいパンク・ハードコアに傾倒してた当時のぼくにはDISCHARGEのカッコ良さがあまりピンとこず、数回聴いてお蔵入りしてたんです。だからDISCLOSEを聴いた時に、それがDISCHARGEのスタイルを継承しているとはすぐには気付かなかったんですよね。だからDISCHARGEを好きになるきっかけが、DISCLOSEだったいう、普通なら逆だろというそんな事になったのですw

 それと、D-beat好きな人の家に行けばだいたい置いてある、DISCLOSEディスコグラフィーRaw Brutal Assault Vol. 1・Vol.2が発売され、これもとにかくひたすら聴き続けたのでした。

 それでまぁとにかくDISCLOSEにやられ、しびれ、でも高知のバンドだから中々見る機会がないなぁと思ってたら、そのVA・ディスコグラフィーが出た翌年の2004年5月3日、高田馬場AREAにてCONFLICT FOR FREEDOMという大きなイベントがあり、そこにDISCLOSEが出演すると。作ったばかりの鋲ジャンにVARUKERSのTシャツを着ていったのをよく覚えています(というかそのVARUKERSのTシャツ、ボディが白なんだけど、緑に塗った鋲ジャンの袖のポスカが汗で一部Tシャツにしみ込み落ちなくなり、それで覚えてるんだけどw)。TOM & BOOT BOYSや、POGO MACHINEEXTINCT GOVERNMENTHAT TRICKERSも楽しみだったんだけど、でも一番はやっぱりDISCLOSEだった。CONFLICT FOR FREEDOM 2004のビデオを持ってる方はDISCLOSEの時にハット被った鋲ジャンがステージ前を右へ左へピョコピョコ動き回ってるのを見る事ができますが、それが19歳の私ですwちなみにそのライブの帰りにまちゃんを誘ってSMASH COCKSが形になるのですが、その話はまた今度。

 その時は物販でステッカーとバッジを買ったと思います。ちょうど物販に川上さんはおらず、なぜか物販にいたリッキーさん(EXTINCT GOVERNMENT)にお金を払って買ったのを凄く覚えています。あれはあれで凄く緊張したなw

 そのステッカーをプラスチックのバッグに貼って、専門学校に通ってたんだけど、喫煙所にいた時に、学校の教員室の事務担当のお兄さんというか職員なんだけど、その人がステッカーを見るなり、「あれ?川上君まだDISCLOSEやってるの?」って言ってくるから、なんだこの人わ??と思ったら、ANODEの初代ドラマーだったそうで、男道からEPをリリースした際に高知に行き、川上さんと男道オーナー井上さんから死ぬ程酒を飲まされたって話を聞かせてくれましたw

 次にDISCLOSEのライブを見たのはそれからだいたい1年半後くらい、2005年下北沢のベースメントバーでのライブ。その時は他でなんかおっきいイベントがあったみたいで、皆そっちに行くと言い、タマ君(当時 TOiSRUS)と2人で行ったのでした。会場につくと、ちょうど機材搬入してたタイミングだったようで、DISCLOSEワゴンが会場前にドカーン!と停めてあって、それ見てタマ君とぼくは完全にミーハーになり大興奮!大きいイベントのウラだったし、DISCLOSE以外の出演者はハードコアバンドでは無かった記憶があるけど、誰だったか覚えてないようなイベントだったためか、かなり客は少なかったのを覚えています。

 最前に張り付き、川上さんのすぐ前に陣取り、間近であの轟音を体験したのでした。始まる前に置かれているアンプやギターやエフェクター類をタマ君と2人ですげーすげー言いながら見てました。そのライブで撮った川上さんの写真がこれ

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当時のガラケー画質&mixiにアップロードしてた写真を引っ張ってきたからかなり画像が荒いけど、こんな間近で見れたのが今でも夢ではなかったと思わせてくれる大事な写真です。ライブ終わって川上さんが片付けを始めた瞬間にタマ君が「セットリストもらっていいですか!?」ってモニターに貼ってあるセトリもらってたけど、タマ君普段そんなキャラじゃないからビックリしたw川上さんも「ええよ〜持ってって〜」って。

 そんで物販に行き、DISCLOSEの刺繍ロゴワッペンを買ったのです。

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このとき、このロゴと同じスタンプが押されてる小さい紙袋に入れてくれて、「うおおかっちょいい!もう1枚この袋欲しい!」と思ったので、その紙袋目当てですぐ缶バッジを買いに再び物販に行くと、川上さんが「あれ?さっき買ったばっかよね?」って言ってくれ、紙袋が欲しくてまたバッジ買いにきましたと伝えると、ガハハと笑った後に、「こんな紙袋でよかったら、毎回持ってきてるから、そんな焦らんでも、またライブしに来た時に買いにきてくれたらいいのに」ってすごく優しい笑顔で言ってくれて、「東京にもたまーにライブしに来るから、また遊び来て、今日は来てくれてありがとう」って言ってくれたのは今でも凄く覚えてる。

 結局、個人的にオーストラリアへ旅立つ日にDISCLOSEが東京でライブをやる事があって見に行く事が出来なかったり、仕事の都合で見に行けなかったりと、その後はライブを見る事が出来ず、その下北沢のライブが最後に見たライブになってしまったのでした。

 2007年の6月からぼくは仕事で仙台に引っ越す事になり、6月4日に仙台入り。そして川上さんの亡くなられた翌6月5日、まだ部屋にコンポが無かったので、iPodをスピーカーにつなぎ、DISCLOSEを聴きながら新生活の準備をしてたのです。翌日、mixiを見ていると、川上さんの訃報が。いや、昨日DISCLOSE聴きながら新生活準備してたのに!と凄く動揺しました。

 川上さんの動向は気になっていたので、Goatworshipperも当然チェックしていたし、その影響でハーシュノイズも聴くようになり、また世界中のD-beatバンドもたくさん聴くようになっていました。THE CRANKSディスコグラフィーBACTERIAのデモ音源集がドーン!と発売されても、しっかり訓練された川上マニアになってたぼくはすぐに買いに行ってました。悪魔教までは手を広げなかったけどw

 その年の秋にDISCLOSECONTRAST ATTITUDEでツアーをやる話も聞いていたので、その時は東京に行って見ようと心待ちにもしていました。ぼくなんかより、川上さんや、近い方達はもっと悔しい思いだったんだろうなと今はそう思います。

 そして、川上さんが亡くなってから1年以上経って、仙台から東京に遊びに来ていた時に、初台WALLになんかのライブを見に行ってたのですが、その時に軍シャツに縫い付けているDISCLOSEのワッペンを見た女性が「川上のこと好きなん?」って、聞いて来たので、前述のANODEのドラマー遭遇事件同様、なんだこの人わ??って思いつつ話していたら、どうやら川上さんの彼女さん。亡くなられてから少し経って、吹っ切るためにもと東京に出て来て生活し始めたばかりだったみたいです。そんな話をしてたけど、ハットリのケンジさんのように何故か白塗りメイクをしてた(その日だけ)ので、それもあってか、あまり哀しい感じにはならず、「これからも川上の事好きでいてあげてー」と言い、最後に缶バッジを一つくれました。

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「このバフォメットの缶バッジなー、川上がつけてたやつなんよ、遺品!川上好きな人にあげるわ!」って言ってぼくにくれました。その後数回ライブハウスで会い、バッジ見る度「ちゃんとつけてくれてるー!」って言ってくれました。その数年後に亡くなった話を聞きました、今でももらったバッジ大事にしていますよ!!

 そして今現在もDISCLOSEが残した作品の影響は世界中のバンドにDISNIGHTMARE STILL CONTINUESしているわけですが、ぼくもいまだにそのナイトメアがスティルコンティニューしてる状態です。とは言っても、ごりごりのD-beatをやるでもなく、ファッションを真似るでもないのですが、自分の節目になるような時、気持ちが乗らない時、気持ちが乗ってる時、色んな時にDISCLOSEを聴いては奮い立たせているのです。

 今ではLiFEがたまにCONQUESTのカバーをしたりしていますが、やっぱり凄く盛り上がりますね。DISCLOSEのTシャツを着て歩いてると、たまに外人さんから声かけられたりもして、相変わらず影響力が果てしない人だなーと思います。

 これからもDISCLOSEは好きでい続けると思います。そんなこんなで

KAWAKAMI-FOREVER!!!!!!!!!!

 縁もゆかりもほとんど無い、一ファンの戯言と回想録長々と失礼しました。

 

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ちなみに、このI♥C-BEATバッジはCONGA FURYのもので、ぼくはCONGA FURYも大好きだったので、物販に置いてあった時に迷わず買いましたw