思い出し日記的なやつ【その7】

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どーもぼくです。

 思った程写真が見当たらなくて困ってます。2004年〜2005年当時はまだスマホなんてなくて、ケータイのカメラもまだそこまでの機能じゃなく画質も荒かったり、保存出来る容量も少なかったりとかしてたから、みんな写ルンですとか持ち歩いて写真撮ってたんだけどな。ということで、昔の写真とか持ってる人いたら見せて欲しいです。今載せてる写真の大半はスティーヴンというアメリカから日本に来てた、日本の変なカルチャーを紹介するTOKYO DAMAGE REPORTって個人ブログをやってたサイトに載ってた写真を、以前保存してた物を拝借してます。そのサイトも数年前に閉鎖されちゃったとかで今見れないっぽい。スティーヴンは自分の事を「害人」と呼称し、キャップに漢字で「害人」と書いてた。日本語が上手くてすごく人が良く、結婚式場で神父のバイトしたり、日本にいる外国人に日本語を教える仕事してるって言ってた。日本に来た理由は、日本にいればASSFORTのライブが見られるから。革ジャンの背中には鋲でキティちゃんの顔を形作ってたりしてて、パンク界隈のみならず、都内のサブカルシーンではそこそこの有名人だった。

 

 意外にも、このブログが好評いただいてるので、もうちょっとちゃんと頑張って書こうと思って色々思い出したりしてて、そうだ、mixiがあった!と思い、mixiに数年ぶりにログインしたんですけど、2006年頃に始めてたので、今書いてる時期の情報はほじくり返せず、一生懸命記憶をほじくり起こしてるとこです。SMASH COCKS解散後の話からはmixiをフル活用してやる。

 

では、続き書きます。その前に、前回までのお話じゃよ。

い出し日記的なやつ【その1】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

思い出し日記的なやつ【その2】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

思い出し日記的なやつ【その3】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

思い出し日記的なやつ【その4】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

思い出し日記的なやつ【その5】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

思い出し日記的なやつ【その6】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

思い出し日記的なやつ【番外編】 - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記

 

↓ここから今回のお話。

 

 前回のブログでは、SMASH COCKSが初ライブをした直後、ベースのノリタカが、ちょっとコンビニ行くくらいの感じで「俺バンド抜けるわ!」と言って辞めてしまったとこで終わり。初ライブを終えたばかりでこれからというとこで辞められてしまうのは困るんだけども、意外とメンバー全員そこまで焦りを感じてなくて、みんな心のどこかで「こいつそのうち辞めそうだな…」みたいに思ってたのかもしれない。面白いヤツだったし、嫌いじゃなかったし、仲が悪いわけでも、ぼくらが薄情だったという事でもなかった。なんとなくそういう空気感のある男で、その時が思ってたよりも早かったというだけだったw

 

 ところで、前回のブログには初ライブのフライヤーとか無いって書いてたんだけど、なんか色々探しまわってたら見つけました。

2004年6月13日の4SPiKES & BOOB$ $HIT企画、at 池袋マンホール

IKEBUKURO BEERning vol.2でした。

なので、話の続きを書く前に、そのライブにまつわる話を前回のブログに追記というような感じでちょっと書いていきます。

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この頃、池袋では、IKEBUKURO BEERningと言う企画と、HOLIDAYS IN THE SUNSHINEという企画があり、どちらも4SPiKES主導だった気がする。BEERningは4SPiKESとBOOB$ $HITの共同企画。

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みんな、ポゴパンクやる〜!ってなってた中で、POGO PUNX同様にめちゃくちゃ派手な見た目をしつつも、ノイズコアをやってたBOOB$ $HITは他のバンド達とは一線を画すカッコ良さがあった。ドラムのイワタ君(現THE ノーフューチャーズ、Killer Queenはぶっ飛んでるようで実は結構しっかりしてるのに対し、残りのメンバーがみんなそろって愛すべきバカ達だったのがバランス取れてた気がする。フロム川越の気のあう4人組がバンドやってるってな感じで。

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余談:オシャレヤンキー感のある現在のイワタ君(IWATA JAPAN)しか知らない人には新鮮かもしれないけど、当時のイワタ君(DICK IWATA)はモヒカンで、それがすげー長くてめちゃくちゃかっこよかった。ライブ終わる頃にはモヒカンもすっかり倒れて假屋崎省吾みたいな見た目になったイワタ君は、鋲ジャンに髪の毛が絡まり「うあ〜マジで髪うぜぇー!」ってよく言ってたwあと、かっこいいからって理由で、4連のピラミッド鋲リストバンドを3つ(計12連)とか重ね着けしてて、手が動かしにくいとか、革ジャン着れねぇ!とか言ってた。ノーフューチャーズ始めてからモヒカンを切った事は、内々でかなり衝撃的なニュースとして広まったりもしてた気がする。なんでモヒカン切ったの?って聞いたら「いや〜、やっぱ時代はジョニー・ロットンっしょ!」って、オシャレなヴィヴィアンのスーツに身を包んで言っていたが、そのときアフロみたいな髪型してたから、どちらかと言えばマルコム・マクラーレンっぽかったwその辺のセンスというか、感覚がイワタ君独自な感じがして、すごく好き。出会った頃から、今にいたるまでめちゃくちゃカッコいいんだよな〜。

 

 この企画の時に初めてPIG FOOD(群馬)と対面。「うわ〜、北関東POGO ATTACKのバンドの人だ〜!」と、ちょっと身構えていたら、石けんで髪を立ててる最中のマモル(Ba.&Vo.)が石けんベタベタの手で「よろしくね〜(満面の笑顔)と握手を求めてきたのが未だに忘れられない。もちろん握手は拒んだ。そして、今PIG FOODCOOKING CASPERでギターを弾いてるイッシー「あ、これイッシーね、俺の付き人だから!」って紹介された。イッシーは当時DEAD MOUSEってバンドやってた。そのバンド名出すと恥ずかしがるから、イッシーにDEAD MOUSEって言っちゃダメだよ、ダメ絶対。PIG FOODのギターのタケボーはしゅっとしたイケメンだったんだけど、何本かネジが抜けてる感じにホワホワしてて、すごく話しやすかった。トロージャンが印象的なドラムのケイワは完全に頭のネジが無かった、人畜無害なんだけどヤベーヤツだった。

 PIG FOODの名曲「FULL SET FUCK OFF」は、ケイワがライブのリハの時にPAさんから「じゃぁフルセットでドラムの音ください〜」って音求められた時に、フルセットで叩けなくてムカついたからって事で出来た曲らしいwぼくはこういうしょーもない事にFUCK OFFって言ってるようなPOGO PUNKのバンドが大好きなんだよなー。

 PIG FOODとはその日、すぐに打ち解け、またマモルがカオリの事をえらく気に入り、それもあってその後足利BBCでのPIG FOOD企画に呼んでもらう事になった、この話はまた後日。この時に、北関東の、おもに足利周辺のバンドの人達とのつながりが出来たんだけど、ぼくは北関東の人達の暖かさみたいな物が大好きで、今でも会う機会があると凄く嬉しくなる。

 この当時の北関東のバンドはいわゆるPOGOやSTREET PUNKなんだけどもそれぞれが独特のセンスを持ってるバンドが多かった。THEパンパ〜ス(栃木)、ROTTEN BEANS(茨城)は今やカルト的な伝説のVA、北関東POGO ATTACKでPIG FOODと一気に有名になってたが、他にもGame Boi!s(茨城)や、DAMAGING NOiSE(茨城)、GARAKUTA(群馬)、現在も活動してるCOOKING CASPER(足利)など、若い世代のバンドが、なんか面白い事してやろう!みたいな感じで、ライブにデモ音源リリースに、結構精力的に活動してる時期でもあった。北関東の人達なんだけど、POGO MACHINEのライブがあると都内でしょっちゅう見かけたから、いつもいる人達っていう感覚があった。

 

 この日の出演バンド、NO EVACUATiONSTHE CHILDiSH PRANKは、年齢的にぼくと同世代なんだけど、どちらも勢いがあるバンドで、見ていて「負けてられないな〜」という気持ちよりは「すごい良いバンドいる、やばいやばい」という焦りを感じてしまった。

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チャイプラでベースを弾く現・経血のドラムで悲観レーベルのツトム君。去年久しぶりに再会して、積もる話に花を咲かせたり出来て嬉しかった。

 

 TOiSRUSは名前の通り、がちゃがちゃしたオモチャみたいなPOGO PUNKのバンド。TAKA-44がオモチャ好きだったってのもあってこの名前だったんじゃなかったかな?ボーカルのSHO君(2連モヒカンがいつも倒れて落ち武者みたいになってたから、落ち武者って呼ばれてた)は車の塗装工をやってたかなんかで、エアブラシ使って鋲ジャンをペイントしてたんだけど、それがめちゃくちゃクオリティ高くて凄いかっこよかった。メンバーに、タマ君もいた。短命だったけどすごくカッコいいし、見ていて面白いバンドだった。

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今聞いても、落ち武者SHO君が何を歌ってたか全然聴き取れないのくそ面白い。

 

 とにもかくにも、新しいメンバーを見つけないと話にならない。というわけで、今は無き、魔法のiらんどで作っていたホームページのトップにベーシスト募集の告知を書き、他のバンドのホームページのBBSにもメン募の告知を書き込みさせてもらった。曲も数曲は固まっていたから「ベース募集中、ある程度弾ける方だと嬉しいです」みたいな事書いていたら、誰だったか忘れたけど身内から「そういう書き方は人選んでるみたいで、見て気分悪くする人いるかもよ?」みたいな事をチクッと言われて、「こっちは切羽詰まってるからそう言う事いちいち言ってくる方が気分悪いわ!」とかそういう文句をまちゃんと言ってたのを覚えてるw

 ひとまず、メン募は出したけど、そう早くに見つかって決まるもんでもない。かと言って何もしていないのも落ち着かないのでスタジオには入る事にしていた。そしたら、TAKA-44(現T&BB)が「そんなに難しくなければベース弾けるから、メンバー見つかるまでスタジオの練習の時一緒に入ろうか?」って言ってくれて、実際にスタジオに来て何回かベースを弾いてくれた。TAKA-44はこの頃TOiSRUSを始めたばかりの頃で、忙しかったりしたのもあり、そんなにがっつりとは頼めないなと思っていたけどなんだかんだ毎回朝10時のスタジオに来てくれて、まだまだドラム初心者のまちゃんにドラムを教えてくれたりもして、新しいメンバーが見つかるまでは結構有意義な時間の過ごし方をしていた。この時期はなんだかんだ毎週の様に誰かしらと顔をあわせてたような覚えがある。

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とある日のKAORi-CATさん。鋲ジャンの袖にほぶらきんの布パッチ貼ってた。

 メン募効果は意外にもすぐ効果を発揮して、募集を出してから1ヶ月ほどで連絡がきた。身内感の強い池袋界隈のバンドだったから、知ってる人から連絡くるのかと思ってたけど、意外にも誰ともつながりが無い人からだった。「ベース弾けるし、バンドやりたいと思って」というようなメールの内容だったので「とりあえず、一度メンバーに会ってみますか?」と言う話になり、トントン拍子で話が進み、スタジオに入る事に。

 スタジオに現れた彼は「加藤です、下の名前がマサフサでまっちゃんとか呼ばれてるんですけど、すでにメンバーにMAッチャンがいるんですよね?」という事を言ってたので、とりあえずカトチンと呼ぶ事に。名前にチンが着くの、ぼくと被るけどそれはいいのか…カトチンはカオリと同い年とかだった気がする。だからぼくの1個年上だったかな?カトチンはジャパコアが好きで、8000(静岡)のホームページで8000番のキリ番を踏んだ記念にもらったという8000のパーカーを着ていた。見た目は金髪で、なんかおっとりしたとこがあって、第一印象は全然悪くなかった。

 カトチンは、秋田から出てきてたばっかりで、バンドやりたいけど知り合いもまだいないしどうしようかなと思ってた所、たまたまSMASH COCKSのホームページに辿り着き、メン募をみかけたからメールしたとの事だった。「あの募集の文章って、見てて気分悪い感じだった?」と聞いたら「え?何が?」みたいな反応。ほれ見た事か。

 んで、まずはベース無しの状態だったか、TAKA-44に弾いてもらったんだかは忘れちゃったけど、今やれる曲をカトチンの前でやってみて、弾けそうか聞いてみたら「大丈夫」との返事で一安心。

 ふとカトチンが着ているTシャツに目が行き、気になったので聞いてみた。

「そういえば、今までジャパコアしか聴いてこなかったって言ってたのに、今TOTAL CHAOSのTシャツ着てるんだけど、TOTAL CHAOS好きなの?」って聞いたら

「STREET PUNKのバンドに入るってなったらそういうバンドのTシャツの方がいいかなと思って、JIMSINN(原宿)に行って、STREET PUNKのバンドのTシャツ下さいって言って買ってきた!TOTAL CHAOSは聴いた事無い!」と。

あれ、もしかしてこいつも結構変なヤツなのかな?という予感が。その予感はまぁ的中したんだけどもその辺の話はおいおい…ともあれ、ひとまずメンバーいない問題は無事解消されたのでした。

 こうして、新メンバーが加入したSMASH COCKSは、初めてのライブで上手く出来なかった初心者バンドから脱却する為に、まずはライブ慣れをしよう!という事になり、とりあえず曲を増やす事よりもライブをしようという事になった。カトチンも結構すぐ曲を覚えてくれて(ぶっちゃけノリタカより全然ベース上手かった)、次に行動を移しやすかった。まぁそんな難しい曲もやってなかったし。

 

 この頃はまだ、活動し始めた新米バンドはライブハウスに出演依頼を出し、ブッキングライブなどをしているバンドも多く、ぼくらもその流れに乗って、平日にブッキングライブをする事になった。他のバンドに企画呼んで!とも言うのもシャクだし、かと言ってまだ自分たちで企画出来る様なバンドでもなかったから、まずブッキングでライブだなって話してた覚えがある。

 記憶にある限りだと、池袋マンホール、小岩eM SEVEN、北浦和KYARA(移転前)でのブッキングライブだった覚えが。ブッキングライブに出ると、高校生のバンドや、一人でエフェクターと打ち込み機材を巧みに使って超絶ギターソロを持ち時間内延々弾き続けるような人と対バンだったりして、パンク・ハードコアのバンドと一緒にやる事がなくて、世の中って広いんだなーなんて思っていつも見てた。その中で、バンド名とかは全然覚えていないんだけど、小岩eM SEVENでブッキングライブした時に対バンしたバンドが「関西から日本のライブハウスをまわる旅に出てます!ブルーハーツとか大好きです!」みたいな事をライブ始める前のMCで言ってて、まぁ確かに見た目もそんな雰囲気あったからどんな曲やるのかな?って見てたら「鼻キッス〜鼻キッス〜♪」というようなサビで、歌詞は好きな子とキスしたいけど恥ずかしいから今はまだ鼻と鼻を付けあわせて鼻でキッス〜♪みたいな内容だった。カオリと、近所に住んでるからということで見にきてくれてたシンイチ(当時4SPiKES、現THE DiSCLAPTiES)がゲラゲラ笑い出してたので、とりあえず外に連れ出した。ぼくも笑ってた気がする。鼻キッスバンドはその後日本を回る事が出来たんだろうか…こんだけ強烈に覚えているんだから、インパクトはかなりなもんだったんだと思う。

 

 移転前の北浦和KYARAは駅から凄く遠く、専門学校での授業後に直接向かったぼくは、一人で初めて行く会場に向かったので、途中道をなんどか間違えつつも、なんとかギリギリ、リハに間に合う時間に着いた。そこで初めてTAKEDA KASK(現THE ノーフューチャーズのスティーブ武田)と話したんだけど、彼の中ではメガネの鋲ジャンパンクスは、うちゅう君という認識があったみたいで「あの、うちゅうさんですか?」って声かけられたのが初対面だったのをよく覚えている。

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これが!!うちゅう君!!だ!!

ベレー帽のスカート履いてる名古屋弁エロマンガ先生がうちゅう君だ!間違えない様に。うちゅう君、今は地元名古屋に戻ってしまったんだけど(たまに遊びに来てる)当時は南浦和の駅徒歩5分くらいのとこに住んでた。TAKEDA KASKとぼくは同い年で、ぼくの実家から近い高校の生徒だったため、中学の同級生から聞いていた「体育祭後大量停学事件」の話をふってみたら盛り上がって、その時からなんやかんやと仲が良い。お酒飲んでないと全然喋らないし、お酒飲むとウザ絡みしてくる時もあるけど、その中間地点にいるタケダ君はめちゃくちゃナイスガイだぞ!

 

 

 と、まぁとりあえず、今回はこの辺にしとこうかな。新メンバー加入からの、ブッキングライブ編。色々と後から思い出す事もあったりするんだけど、それは過去ブログに追記という形じゃなくて、その都度書いていこうと思うので、話が前後して見づらくなるかもだけど、その辺はご愛嬌ということで。

 

次もなるべく早めに更新するつもりですー、でわでわ