思い出し日記的なやつ【その6】
どうも、ぼくです。後列向かって左から2番目にいます。
向かって一番左は経血のツトム君(当時はTHE CHiLDiSH PRANK)ぽいな?
昔なつかし池袋マンホールでの一枚。SMASH COCKSラストライブの日。
さて、つい先日シンエヴァを見に行った勢いで、2年ぶりにブログを更新しまして( 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を見終わって色々思い出した話(ネタバレあり) - ∞┗ノょ~ㄘん∞の日記 )ブログのページを開くのも実に2年ぶりくらいだったんですけど、
「どれ、いっちょ昔書いた記事でも読み直すか!自分で言うのもなんだけど、結構自分のブログは面白く書けてると思うんだよな〜!なんつって!!」
ってなもんで、昔の記事を見てたら、珍しくコメントがついてて、
「2年放置してたから全然気付かなかったわーどれどれ」
と思って見てみたら、元池袋軍団な元THE DiSCLOWTERや元THE TOiSRUSで、その後地元福島に戻りPATRONAGEをやってたタマ君からでした。コメントの日時が、約300日前…タマ君ごめん、気付かなかった(><)当時を懐かしんで偶然辿り着いたみたいで、コメントくれててありがとー!POGO OR DiE!とか言ってたのに、TODESTRIEBという暗黒な感じのバンドやってるよー!そのおかげで、パトロのヒロム君(現ATARAXIA)とも知り合ったよー!
ぼくの右隣にいる、水色の袖の鋲ジャンのナイスガイがタマ君。ここに写ってるの、TAKA-44以外は皆今何してるか全然わからんなぁ。元気でやってるといいんだけど。というか、ぼくめっちゃ痩せてる。
というわけで、今回のブログはタマ君のために書きます。見ててくれたら嬉しいな。というか、今回書く話には、結構タマ君の関わりが大きかったりするのです。エヴァの事書いてる場合ではなかったw
とりあえず、前回までのお話↓
ここから今回のお話↓
過去ブログを読んでて、さてどこまで書いたかな?と思ったら、【その3】で時が止まっていた…【その4】も【その5】も実質番外編じゃねーか…
と言う所で、【その3】を読んでもらえれば、話は早いんですけど、読み返すのメンドクセェってのもあるかと思うので、ひとまずざっくり書くと、池袋界隈を中心としてPOGO PUNXが大量発生2004年!みたいな流れの中で、ぼくもいよいよバンドを結成する事になったというお話。このバンドの話を持ってきてくれたのがタマ君。
ほんとはこのバンドでやるつもりだったけど、THE DiSCLOWTERの方が動き出したようで「りょーちんギターやらない?」って声掛けてくれたのでした。それで、ボーカルをやる事になってた1個上の女の子(当時)のKAORi-CATに連絡を取り、とりあえず、ベースやる人は決まってるから3人で会おうと言う流れに。ほんのりと暖かくなってきた2004年の3月頃だったと思う。
カオリとはライブでよく会う友達だったので面識はあったけど、ベースをやるNORi-TAKAはこれが初対面。どんなヤツが来るんだろうかと思っていたら、当時のSOBUTとかそっち系の雰囲気がどことなくある男だった。とりあえず、新宿駅近くの喫茶店に入り、今後の話とかをする事に。で、タマ君がやるってなってた時からPOGOをやる事は決まってたようだったから、
◎ドラムを探すこと
◎バンド名を決めること
が直近の課題に。
「ボーカルが女のPOGO PUNKってあまり聞かないし、なんかそれをコンセプトにしたい!男に負けないぞえ〜的な!」とカオリ(余談だけど、カオリは鈴木蘭々に似てたぞえ)
「STRIKE THE FACE(顔をぶん殴る)とか?」とノリタカ
「いや、SMASH YOUR FACEいるし、モロ被ってるわ…」とわし
「あ、SMASHいい!SMASH!SMASHいれたい!ぶっつぶせって感じする!」とカオリ
「男をぶっつぶすと言ったらキンタマしかないじゃん!(下品な笑い)」とノリタカ
「じゃあSMASH COCKSにするか…」とわし
そんなこんなでバンド名決定、SMASH COCKS
この日はそれで別れた気がする。帰り道「いよいよ俺もバンド始めるんだ〜」みたいな高揚感があった。
そして後日、バンド名が決まったら、ロゴも必要だろう!という話になり、現在TOM & BOOT BOYSでドラムを叩いてるTAKA-44に相談。彼は色々なロゴやフライヤーをデザインしてて、各バンドからの信頼が厚かった。マヨネーズ大好き仲間でもあり、ぼくをこの世界に引きずり込んだ張本人でもあるTAKA-44宅に乗り込む。
カオリが「池袋にあるから」と言う事で、東急ハンズ風のロゴのデザイン案を考えつき、「ハンズのロゴの手のイラストは人差し指が立ってるけど、パンクだし中指立てようぜ!」ってなったので、そんな感じに仕上げてもらう。今でこそ、フォトショやイラレを使って仕事やら私事をこなしてるぼくも、当時はまだMacintoshというパソコンに触る事がおっかないと思っていた時代。当時流行していた、スケルトンボディの激オシャレなiMacの画面に映るフォトショの作業風景を恐る恐る覗き込みつつも「あ、こここんな感じにして…」と口をはさむ。スローガンは入れたかったので、とりあえず最初に作っていた曲のタイトルである「WE DON'T GIVE A SHIT!」という一文を入れてもらう。そうして出来たのがこちら。
曲もメンバーも固まる前にロゴ出来ちゃった…
家庭用プリンターでシールの印刷までしてもらい、大変お世話になりました。悪ノリしたTAKA-44はA4サイズ目一杯の大きさでもステッカープリントしてくれたw
さて、問題はドラム。誰に頼もうか。ドラム出来る人もそんなにいないし、ドラム出来る人はみんなバンドやってるから、掛け持ちとか頼みにくいよなぁ〜。なんて言うのを日々考えてた。そんな中、2004年5月3日に高田馬場AREAでEXTINCT GOVERNMENT企画 "CONFLICT FOR FREEDOM"が開催。POGO MACHINEやIMPULSIVE、ORdERにHAT TRICKERS、そしてなんと言ってもDISCLOSEが出る!!ってなもんで高田馬場にPUNX大集合。当時大きなパンクのライブに行くと、7〜8割くらいの客が鋲ジャンで髪立ててた。ぼくは寝坊したかなんかで、髪立てる時間が無くて、鋲ジャンは着てたもののハット被って行ってた。CONFLICT FOR FREEDOM 2004のビデオでDISCLOSEの時に、ステージの前の人ごみの中を飛び跳ねまわってるハットが確認出来ますが、それ僕です。
で、そのライブの帰りに、MAッチャン(現在NO VALUEのVo)から、「りょーちんバンドやるんでしょ?ドラムいないの?俺ドラムやった事ないけど練習するから入れてくれー!」って言われて、「ハイ喜んで!」と2つ返事でOK
これでメンバーが揃った!曲もとりあえずなんとなく形にしたのは4曲くらいあるから、全員でスタジオ入ろう!という流れに。
当時、まちゃんが夜勤仕事で、日曜の朝10時から池袋のスタジオで練習するという、寝坊助なうえ埼玉から池袋に行かなきゃいけないぼくは、平日高田馬場にある専門学校に通うのとあまり大差無い時間に家を出るのがそこそこしんどかったw9時45分くらいにスタジオに着くと、スタジオ前の道路で、文字通り寝てるまちゃんを起こす所から練習スタートだった。
とりあえず、バンド経験者はほぼ皆無だった。ぼくは高校時代に部活の先輩と遊びでスタジオに入る事がたまにあり、なぜかミスチルのカバーをベースで担当していたwカオリはカラオケくらいしか人前で歌った事がない。まちゃんは完全初心者。未知数のノリタカは?と期待が集まるも「俺、スターリンしか弾けねーから!」と言うやいなや、ロマンチストのベースラインをいきなり弾き始める。そして何故か歌いだすカオリ。カラオケか。
ひとまず、ギターで作ってた曲を「こんな感じで」と恥ずかしいのを隠しながらたしか4曲くらい、スタジオにあるMTRでMDに録音しながらやってみる。ノリタカは押さえるポジション教えたら、普通に弾ける。お前、スターリン以外も弾けるやんけ。
ぼくが歌詞も作った曲もあったけど、カオリには歌詞のまだ無い曲には歌詞を考えてくれと。そしてまちゃんは、とりあえず叩ける様になる!という方向性で。ただ、いきなりオリジナルを覚えて、形にするのは初心者4人にはハードルが高い、何かカバー曲もやろう他のバンドもカバーやってるし。って事で何がいいかと会議。THE EJECTEDのEAST END KIDSは簡単だけど、みんなやっててありきたり。THE ADiCTSはこないだ4SPiKESがライブでやってた。スターリン、ノリタカうるさい。などと色々話してた結果、トレイシー・ウルマンのBREAKAWYのMAJOR ACCIDENTがカバーしてたやつをさらにカバーする事に決定。じゃあ各自これ聴いて練習頑張りましょう。というのが、最初期の活動の記憶。
なんやかんやと、まちゃんが毎日のように個人練入ってたりしてメキメキ上達。曲もカバー入れたら6曲くらいになったし、これもうライブ出来るじゃん!ってなり、まちゃんが、当時同居していた4SPiKESのギターのGOUさんに頼み込んでくれて、4SPiKESの企画で晴れてデビューを果たす事に。会場は当時、池袋界隈が拠点としていた今は無き池袋マンホール。残念ながら、当時のフライヤーは紛失。記念すべき初ライブだったのに、対バンとかの記憶が全然ない…今はそんな事はないんだけど、やっぱあの時はめちゃくちゃ緊張して、ステージで足が震えてたのだけは覚えてるから、ライブ当日の記憶があんまりない。
記憶はないけど、写真はあった。わし写ってないがな…ノリタカ半分しか写っとらんやん。ノリタカの写真全然残ってへんやん。ちなみにこの記念すべき初ライブの日に、池袋マンホール横の駐車場で、まちゃんが頭半分バリカンで髪を剃り落す儀式を行い気合い十分だった。この頃から、しばらくまちゃんは片ハゲ頭だった。後々ドレッドになった時も、最初は片ハゲの片方ドレッドという凄い頭してた。
持ち曲が少なすぎると言う事で、急遽、みんな大好きなTHE DiSCLAPTiESのATOMIC BOMBという曲をカバー曲として追加。歌詞を勝手に変えて、サビでATOMIC BOMB! ATOMIC BOMB!って言う所をSMASH COCKS! SMASH COCKS!に変更。デビューライブを見にきてくれてたディスクラのアライさんがフロアで苦笑いしていて目が合って気まずかった。そして、シュンさんからは「最高にパンツロックだったよ!」という謎の褒め言葉をもらったw
そんなこんなで、演奏面にはやや不安は残る物の、初ライブを無事に終えたSMASH COCKS一同は「よ〜し、これからどんどん頑張っちゃうゾ〜!音源とかも作るゾ〜!」なんて思っていた、そんな中、初ライブの余韻も覚めやらぬ頃にノリタカが
「俺バンド抜けるわ!」
と、ちょっとコンビニ行ってくるわ!くらいのテンションで言ってきた。
いや、えー?嘘でしょあんた?これからSMASH COCKSどうすんのよ!?初ライブ終わったばっかじゃん!!えーーー?
という事があり、わずか一回で、初代ベース脱退。なんかそれらしい理由も言ってた気がするけどあんま覚えてない。抜ける事に対して揉めたとかは無かったし、「まぁ本人辞めるっていうなら仕方ないねー」くらいの感じだった。それ以来、ノリタカの姿を見た物は誰もいなかった…今何してんのかな?バンドやる前に数ヶ月パクられてた事があったとか、ちょっと前までシ○ブ中だった、とか恐ろしい事をサラッと言ってたし、生きてるのかもあやしいw共通の知人いるのか知らんけど、誰か知ってる人いたら教えて下さい。
ここまでが第一期SMASH COCKSのお話。
文字チェックをかねて読み返したら、3年前に書いてた思い出し日記【その3】に加筆したような内容じゃねーか…
ここから先は、まだ書いた事のない話。はたしてSMASH COCKSの運命は?
続きはまた後日書く事にするです。でわでわ