「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を見終わって色々思い出した話(ネタバレあり)

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こんちわ。

全然ブログも書かず、最後の更新がほぼ2年前でしたので、久々に書こうかと。今回もパンク思い出し日記ではないお話になります。

オタク要素たっぷりの思い出し日記であり、エヴァが完結した区切りともなる今の思いなんかを書き残しておこうかなという感じで。

 

 2021年3月8日(月)午前8時45分、その瞬間は思っていたよりもあっけなくすんなりと静かに始まった。

 そこからの2時間34分、映画館に行く前はとてつもなく長い時間であるかのように思っていたその時間も、気が付けばあっと言う間。しかし、そのあっと言う間に感じた時間の中でも、およそ26年前に初めてテレビシリーズを見た新世紀エヴァンゲリオンという作品が、僕個人としては、しっかりときっちりと「完結」と言うにふさわしい終わり方を迎える事が出来たのでした。

 僕と同世代の30代半ばより上の人達は、エヴァ直撃世代になるので、今回の完結編とも言える、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は、とにかく待ちに待ち続けていた物だったと思います。それこそ、前作のヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qで、アスカが口にした単語であるエヴァの呪縛」から抜け出せないまま四半世紀をチルドレンのまま過ごし続けてきたような大人達もかなりの人数いたんじゃないかと。僕自身もそのうちの一人だった気がする。

 

 シンエヴァの話をする前に、僕がエヴァンゲリオンという作品とどのように過ごしてきたのかと言うのも書いておこうかと。まぁ僕のブログだし。

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 1995年、1月に阪神淡路大震災が発生し、オウム真理教による地下鉄サリン事件やテロ計画からの一連の逮捕劇だったり、少年犯罪も増えてきていたり、ノストラダムスの1999年の世界滅亡の予言まであと数年という話題がもちきりで、世間はどこか物々しく、暗く鬱々としていた時で、僕が生きてきた36年の中で、世間がどんよりとしていると強く思った最初の年だったように思う。そんな年の10月に、テレビアニメ 新世紀エヴァンゲリオン」が放送開始。当時、11歳の僕は今のようなアニメオタクではなく、というか小学生だったし、アニメは夕方や日曜の朝に子供が見る物くらいの感覚でいたので、当然のように事前にはノーチェック。ただ、同級生の中に、兄がオタクというヤツがいて、そいつが「なんか面白そうなロボットアニメ始まるらしいよ!」なんて言っていたので、初回からエヴァの放送を見る事が出来たのは運がよかった。

 最初の数話は話の内容的にもまだ明るい方で、使徒と呼ばれる敵を倒す仕事をしている団体をまとめる父から急に呼び出されてロボットに乗れ!と言われ、葛藤する14歳の少年が成長していくストーリー」のように見えていたので、18時半の放送でも親がいる所で見る事は出来た。エヴァと呼称されるロボットも、デビルマンのような悪魔チックなデザインが、正義の味方っぽくなくてカッコいい!っていう感じもした。それまで見てきたロボットアニメの様な無骨なメカデザインじゃない所も、新しい何かを感じた記憶がある。あと、ロボットアニメなのに主人公が熱血じゃない(笑)なんとなく世相もあるのかなとか感じたりもしてた。

 しかしなんだか徐々に陰鬱としてきた話の流れ、性的な描写なんかも見え始め、またキリスト教にまつわる宗教用語などがオウム真理教の一連の事件と何か関連するのではと思った親や世間の様相がなんだか良い雰囲気ではなくなってきたので、止む無く録画して、親が仕事に行っている一人の時間に見る様になったのでした。実際、かなりの苦情がテレビ局によせられたとも聞くし、オウム真理教プロパガンダ的なアニメじゃないのか?なんて世間的に叩かれてたりもしてたのは、うっすらと記憶に残ってる。オウムもエヴァブームに便乗した勧誘活動をしていたっていう話もあったし。

 新劇場版や、深夜枠での再放送からエヴァを見始めた人達が驚くのって、この作品が夕方に放送していた、って事。今じゃアニメと言えば深夜アニメが当たり前な時代だけども、当時はまだ深夜アニメなんて概念はほとんどなくて、せいぜいTBSのワンダフルの中のコーナーで稲中卓球部がやってたりとか、そんなもんだった。アニメは子供の見るもの感がまだ強かった時代なので、アニメが好きという事になると、子供もしくはオタクという扱いを受けるそんな時代でもありました。僕はまだ当時は子供カテゴリーです。

 んでまぁ、テレビ放送版のエヴァの物議をかもした最終回(厳密には最終回の一話前の25話から、意味がわからない・コンテ絵やら文字だけがバンと出てきてセリフが難解など言われ、最終2話分が叩かれていた)を迎え、なんだかよくわからないまま終わってしまった感が強かった。小学生だから難しい事はよくわかんないだけだと思っていて、まぁとりあえず、エヴァはかっこよかったくらいで自分の中では終わり、同時期に放送してたガンダムW名探偵コナンの方が小学生にとっては面白かった記憶がある。

 

 そんな程度の小学生だったので、後に知るまでに、エヴァファンが庵野監督に対しての殺害予告じみた脅迫を送り付けたりして、物騒な事になっていた裏側があった事は知らなかったので、エヴァの25話・26話を作り直す形で劇場版をやる」というアナウンスが出た時は、素直に興奮した。それが、新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生だった。

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新作が見られると思い、1997年の春休みに映画を見に行く。テレビ版の総集編から始まり、肝心の最終話にあたる話の部分は制作が間に合ってないから夏に改めて公開するという発表が公開の1ヶ月前にされていたのもあったが、実際に見終わったあとはなんともモヤモヤした記憶がある。「最低だ俺…」のシーンでエッチだなぁ〜って友達がキャッキャしてたのは覚えてる。当時はDVDや配信なんてものは無く、VHSソフトも高価だし、LDなんて物も持ってないから、総集編で過去作をおさらい出来る作りは助かったと言えば助かったが、完結するまで半年近くも待たされるのかー!なんて思った。その後さらに14年も待たされる事になるとは当時はまったく想像もしてなかったが(笑)

 余談として(余談ばかりだけど)この後に公開されるAir/まごころを、君にのラストの方に流れる実写のパートで新宿ミラノ座の劇場内が映るシーンがあるんだけども、それはシト新生を見にきていた客を映した物というのは知られるけど、その会場にTACOS U.K.坂本技師長が行っていたようで、「座席がもう2列くらい前だったら俺も銀幕デビューしていた」という話を本人から教えてもらいました(笑)坂本さんともシンエヴァについて話したいな〜。

 そう言えば、シト新生と同時上映されてた、作品がなんかあったなーと思い出し、wikiで調べたら、「魔法学園ルナ LUNAR!青い竜の秘密スッポコ魔法作戦!」ってタイトルだった。が、タイトル見ても全然どんなんだったか思い出せない(笑)制作はJ.C. STAFFで監督が大地丙太郎さんだったのか…探して見てみようかな。

 

 シト新生を見た1997年の3月、僕は小学校を卒業し、碇シンジと同じく中学生へとなるわけだけど、その4月に僕は初めて身近な死を経験する。おばあちゃんの死。エヴァが死生観なども作中の題材にあったため、寂しさにあわせてなんだかよくわからない感情もあった。そんな中、親戚の10個くらい年上の兄弟が葬儀のために新潟から埼玉まで来ていて、うちに泊まり僕の部屋で寝る事になったのだが、その兄弟、兄は理系のマジメなややオタク気質、弟は当時流行っていたサーファー系ヤンキーという面白い組み合わせだったんだけども、とても仲がいい兄弟で、僕は大好きだった。その兄弟もエヴァの劇場版を見に行っていたようで、僕の部屋にあったパンフレットを見つけ、夜更けまでエヴァについて熱く議論を交わしたのは、おばあちゃんの葬儀の日程の中でだいぶ精神的に助けてもらえたくらい楽しかった。ミステリアスな内容、意味深な話、などなど、当時からエヴァ議論なんてのは結構されていて、本屋に行くと、うさんくさい装丁の「エヴァ謎本」なんて考察本なんかも結構たくさん売られてた時代だったし、サブカルの代名詞的な所がエヴァにはあった。アンテナを張れている人には刺さっているのがクールな感じもどことなくあった。インターネットがまだ一般的でも無い時代のお話。その兄弟の兄の方は数年前に病気で他界、新劇場版のエヴァが公開されてからエヴァの話をした事はなかったけど、もしかしたらシンエヴァを楽しみにしていた一人だったのかも、と思うと、なんだか少しやるせなかったりもする。

 

 そんな事もありつつ1997年7月に新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君にが公開。

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これもまぁ終わり方が物議をかもして、やんややんや言われた問題作でもあったのですが、個人的には旧劇場版も凄く好き。旧劇場版にのみ出てきたエヴァ量産機(通称:白うなぎ)と、覚醒したアスカが操縦する弐号機が戦うシーンはロボットアニメの作画の爽快感にあわせてトラウマ級の残酷な描写が本当に素晴らしい。この辺の作画担当のアニメーターさん今石洋之さん、磯光雄さん、本田雄さん、吉成曜さんなど)の存在が、後々僕が作画オタになるきっかけの一つであるという点でも個人的には重要なシーンだったりする。

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そういえば、シンエヴァではこの辺の弐号機のセルフオマージュもありましたね。

とは言え、テレビアニメ版での全員集結して「おめでとう」で終わるラストを払拭するような終わり方を期待していた観客は皆、アスカの「気持ち悪い」という言葉で終わる最後に度肝を抜かれ、悶々とし、一部はアンチ庵野過激派みたいになっていて、とにかくこき下ろされていた問題作でもあったのは事実。

 物語の軸となる人類補完計画について解明されるやも、という期待が見に行く人達の中にかなりの割合であったからなんだけろうど、結局フタをあけたら、碇ゲンドウが死んだ嫁に会いたいがためにワガママの限りを尽くして息子まで利用しようとしたにも関わらず、息子がそれを拒否したため失敗、その結果シンジとアスカだけが世界に残された所で、はいおしまい。って内容だったから、そりゃ荒れる。まぁ新劇場版でもゲンドウのやってる事は同じなんだけど。今のネット社会だったら炎上だけじゃすまないレベルだったかもってくらい荒れてた。それにあわせ制作サイドの逆ギレかのような、庵野監督への脅迫文やウェブサイトの書き込み、GAINAXショップへの落書きなどを実写シーンで使ってたのも、火に油みたいになって、ファンと言うよりは過激なオタク側との溝が深まってたような印象も当時は受けた。「なにが「まごころを、君に」だ!煽ってるじゃねーか!ぶっ○すぞ!!」みたいな事を真剣に言ってる人も結構いた。そういう所にもエヴァは社会現象だったと言われる所以があるんだと思うけど。とは言え、本当にエヴァにハマってしまった人達はエヴァの呪縛に捕われて、その後も議論を交わし続けるんだから、まぁオタクなんてそんなもん。庵野監督もかなりメンタル的にやられていて、エヴァを終わらせたがっているから、登場人物をいっきに死なせて、もう終わりにしてやるからお前らもいい加減終わらせろ現実を見ろって言ってるかのようなそんな感じの印象を受けた。

 

 そんなこんなで、思春期にエヴァに充てられた僕は、すっかりアニメに取り憑かれ、エヴァをきっかけにアニメーターという存在を知り、可能な限りアニメを見てアニメに触れる様になったんですけど、まだ世間的にはアニメ好き=オタクという図式が強く、エヴァは誰もが知るオタクアニメの代表格だった。その頃はオタクと言えば、陰湿で気持ち悪くて最低の趣味と言ったような迫害に近い物を受けていたので、その趣味は隠し、中学3年生の時に衝撃を受けたパンクに人生を捧げる様になり、高校ではオタクである事を微塵も感じさせないパンク少年ではあったので、誰かとエヴァ議論を交わすなんて事も中々出来ず、悶々としていたりもしてた。

 

 その後、高校を卒業し、専門学校も卒業し、社会人となり、以前いた職場では社会人2年目で新設する仙台営業所へと島流しもとい転勤となり、周囲に友達がいない環境の中、アニメやマンガを見て日々過ごしていた所、一つの転機として、パチンコのエヴァンゲリオンが世間的にブームに。そんな中、2006年にはエヴァンゲリオンをリビルド(再構築)する」というアナウンスが出され、2007年にヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が公開され、世間ではエヴァを見た事がある、知っているという事がそれまでのキモいという見られ方から、いつの間にかアドバンテージがあるようになっていたような…

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「序」というだけあって、物語の序章。コンセプトがリビルドだったのもあって、基本的には旧作をなぞる形で話が進んだので、旧作ファンも、ここから見始める人にも見やすかった。技術の進歩の凄さにも驚かされ、とにかく映像がむちゃくちゃキレイだった事に驚いた。
 エヴァがオタク向けコンテンツから、一般層へも届くコンテンツとして広く認知されるようになった瞬間だった気がする。スタイリッシュなアニメのようにも捉えられ、アパレルコラボもオシャレなのが多く、また芸能人でもエヴァ好きを公言する人が増えてきた時でもあった。当時の会社の7個年上の上司は、パチンコからエヴァにハマり、休みの日に僕からマンガやDVDを借りてエヴァを見たりもしてた。

 翌、2008年に大阪の営業所の人が仙台へ島流しされてきたんだけども、その人もアニメが好きで話が合い、忙しすぎて帰れない職場で夜な夜なエヴァについて議論していた。TV版で加持さんを撃ったのは誰だったのか?とか、TV版から新劇場版の世界観のつながりは?とか、旧劇場版のアスカの最後の「気持ち悪い」というセリフの真意は?とか、そういうの毎日のようにメシ食いながらとか空き時間にダラダラ喋ってた。

 

 2009年にはヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開され、ぼくらのエヴァ熱はさらに加速。

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リビルドという意識を持って見に行ったら、いきなり新キャラのマリが出てきて、仮設5号機を乗り回し、見た事無い使徒と戦ってる冒頭からは、いい意味で衝撃を受け、裏切られた!という風に思った。とりあえず何度も見ないと!と思い、泊まり仕事空けの朝一の回で見に行って、映画館で寝てみたり、夜中の仕事に挑む前にレイトショーで見に行ってから会社に戻り仕事をするというような事をしていた。

 そして僕と同僚は、エヴァ一番くじが発売される日の0時にコンビニに行って買えるだけ買ってみたり、たまの休みの日は一緒にエヴァのパチンコ・スロットを打ちに行ったりもしてて、個人的には凄く楽しかった。休めない帰れない仕事だったから無駄にお金はあったのだ(笑)

 2010年に僕は島流しの刑期を終え、東京の営業所に戻るも、前の仕事の引き継ぎだったりがあり、ちょこちょこ仙台に行っては同僚と終わらない議論をしていた。

 この頃からエヴァのライト層への浸透がすごく、企業コラボや様々な商品展開がされ始めてきていて、その辺に少し食傷気味になり始めていた時期でもあった。

 誤解の無いように言っておくけど、「破」ももちろん好きです。

 

 そして、2012年のヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q公開。

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「破」での爽快なアクション要素が広く一般受けし、エヴァを好きなライト層も増え、個人的にはあまりいい気分ではなく、「破」の続きが見られるぞ〜なんてキャッキャしてる親子連れとかカップルで賑わうのを横目に、旧作からのファンはお呼びでないんだよみたいな空気感を勝手に感じ、映画館で僕は居心地の悪さを少し感じていた。劇場での公開直前には冒頭シーンの何分間が金曜ロードショーの時に公開され、物語の序盤と、宇宙空間で動くエヴァに、これからまた凄いアクションのあるロボットアニメが見られるんじゃないかと期待している人がたくさんいたのが初日までの世間の空気感。

 しかし、初回の上映が終わり、映画館を出て行く人達からは満足げな様子は微塵も見られず、むしろ「期待していたのに裏切られた、ガッカリだ!」という面持ちどころかそれを口にしている人が多く見受けられた。この様子に僕は劇場から出て行く一人一人に「ざまぁwwwww」って言いたい気持ちになっていた。僕としては「Q」は最高の出来だったから。「だって、まだ完結編じゃない。物語で言えば起承転結「転」それこそ、序破急「急」だからこその「Q」じゃん!これでまた議論に花が咲く!楽しい!」っていう気持ちと、やはり過去のTV版、旧劇場版をリアルタイムで体験して少なからずガッカリした気持ちになったのを覚えているという卑屈な理由からでもある。新劇版から入ってきた連中はそれを伝え聞くだけで体験してないくせに噂やネットの評価だけで「破」だけを持ち上げ旧作をバカにしてる節があると思っていた僕には、この体験はして欲しかったりもしたからだ。性格悪いなー笑

 2012年の12月に、仙台の営業所へ年末の仕事のヘルプとして約1ヶ月出張滞在する事になり、さっそくエヴァ好きの同僚をさそって何度目かわからない「Q」を見に行き、その見終わった勢いで後輩の部屋に乗り込み「序」と「破」のDVDを無理矢理流し続け、同僚と朝までエヴァを見て居座り、まだ「Q」を見ていないという後輩をも議論に巻き込んだりもしていた。それくらい、「Q」エヴァを議論する人間にとっては面白い要素が詰め込まれていたんだと思う。新劇エヴァは考察して、新作で公式との見解とどう変わってくるかというのもあわせて楽しむのがよかった。それに、他の人の様々な考察を見て、充分確証を得られるような結論に至ってから、次が見られる!と思って見たら、全然違う角度からぶっこまれたりするのが楽しかった。とりあえず、スピンオフでもいいから、「破」の時に流れた「Q」の予告の、ゲンドウと冬月の山登りを解説して欲しい。

 僕は「Q」を単体として見て評価し、ただ「つまらない」という烙印だけを押すような人とはエヴァの話をする事はできないししたくない。新劇場版は全4作で、その最後の話につながる所である「Q」の役割というのはとても重要な話だと確信していたし、実際「シンエヴァ」を見たらその通りだったからだ。

 個人的に凄く嫌いな事として、「破」のラストで、綾波を助けたいシンジ君がエヴァ初号機を覚醒させてしまいサードインパクトを起こしかけている所でミサトさん「行きなさいシンジ君!」と背中を後押ししていたため、「Q」で14年ぶりにミサトさんと対面したシンジ君が、ミサトさんから「もうエヴァには乗らなくていい」と突き放されるというくだり、これを表層的に見てミサトさんが行けって言ってたのにwww」というように茶化してネットでバズりたいだけのネタに走るツイートをしている連中が嫌い。そしてそれに乗っかって笑ってる表層だけで何も理解しようとせずただ見ているだけの連中も本当に嫌い。ミサトさんはTV版、旧劇場版でもシンジ君の保護者であり一番の味方だったんだと言うのは、今までの作品を見てきて普通の理解力があったらわかる。だからこそ、14年後にシンジと再会した時に本当は誰よりも喜びたいんだけども、打倒 ネルフとして加持さんと立ち上げた新組織のヴィレをまとめあげる立場にあるミサトさんとしては、感情を殺してまでして、シンジ君を今後危険な目に遭わせたくない・厄介な事に巻き込みたくないという気持ちからそう言った事は、国語の読解問題を小中とやってきてれば普通わかるでしょ。だから、仮称綾波にシンジがさらわれた時に、DSSチョーカーを起動させられなかった。そういう読み解き方が出来ない人ばかりがエヴァ含めアニメ作品を薄っぺらく見る様になってしまったのかなと、残念な気持ちになったし、未だにツイッターなどでネタにしてるのを見ると、イラッとする。

 まぁ、それはそれ。とにかく、僕は「Q」を喜んだ。「破」からたっぷり3年待ち、いよいよ完結に向かうエヴァの考察をまた楽しめる。と、そう思った。だからストーリーは難解であればある程面白い。そこにどんな設定があろうと、ファンの深読みであろうと考える事は素直に楽しいからだ。その方が、次作を見た時に答えあわせも出来て、より楽しめる、そういう気持ちが、旧劇版の頃に培われてしまっていたからだ。

 

 そして、2014年、いわゆる貞本版エヴァと呼称されるコミックが連載終了。

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世界観としては、旧劇場版の世界を描いていたラストで、そのラストに、新劇場版の「破」で初登場したマリの謎に言及しているようなシーンが描かれている。貞本さんが忙しいのもあり中々連載も進まなかったという背景もあり、これも完結まで長い間待ち続けたな〜。貞本版エヴァのシンジはアニメ版と違い、とにかく性格が擦れている、感じの悪い少年だった。まぁ、家庭環境見たらそりゃそうなるわなって言うのもわかる。コミックのエヴァはまた違うテイストがあって、これも僕は楽しかった。エヴァファンにとって待たされるのは宿命なのだ笑

 

※ここからネタバレあり

 

 そして、庵野監督のシン・ゴジラの監督だったり、度重なる公開延期を経て、やっと公開日が正式にアナウンスされたと思った矢先に、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、再度延期となり、ついに公開された「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」

 初回の上映では、ちゃんとエヴァンゲリオンが終わるのかを見届けたいという一心で見に行っていたので、相変わらずの難解な部分だったり謎めいた部分への解説のような物は少なかったんだけども、その辺に関しては、どうせ繰り返し見るし、ファンの考察ブログやこれから公式で発売されたりする設定集なんかを見れば解決するだろうと思うので、ひとまずそこは大事ではなかった。ちゃんと見届けないと、という気持ちがとにかく強かった。

 結論から言えば、僕の中でのエヴァンゲリオンはちゃんと完結した。正直、何がきても驚かないつもりでいたが、予想していない着地点だったので、最後までやられたなと思ったのだけども。

  今までのエヴァ全てを見てきて、手放しですべてを肯定できるわけではないが、それでも僕の中ではエヴァという作品の特別さはダントツだった。それがきちんとした形で完結に至ったと、その気持ちが見終わった瞬間こみ上げてきた。当初懸念してた、2時間半という長丁場も、全く苦にならないくらいの時間だった。

 

 いきなりラストシーンの話になるのだけども、エヴァの呪縛から解き放たれて青年になったシンジは、庵野秀明そのものだったように思えた。というのも、最後にシンジがいる駅のホームは、庵野監督出身の山口県宇部。そして、シンジと結ばれる事になったマリがいて、二人で駆け出して行くという終わり方は、人生の伴侶である安野モヨコエヴァの呪縛から解き放たれた庵野秀明のこれからを暗示しているように見えたから。昔、何かで読んだ記憶があるのだけども、庵野氏の初恋の人は声優の日高のり子さんで、真剣に告白しフラれてしまったと。そして、その日高のり子をモデルにして葛城ミサトを作り上げたという話。(これはネットで出てた噂だけど、レイ役の林原めぐみさん、アスカ役の宮村優子さんにも恋をしたが実らなかったと)そんな庵野氏が結ばれたのが漫画家の安野モヨコさんだったわけだけど、ミサトさんに憧れ、レイも好き、アスカも好き、でも実らなかったシンジ君が最後にマリとくっついた。この展開には、なんとなく庵野氏を重ねて見てしまうのも、無理はなかったのかなと(笑)実際、庵野夫妻はかなりの仲睦まじさで、シンエヴァにも安野モヨコ作品をフィーチャーしてる物がいくつか見受けられたし。

 個人的に、今まで庵野秀明という人物を、監督であり眼鏡の無精髭というルックスも相まって、勝手に碇ゲンドウと重ねて見てる自分がいたんだけども、その見え方はシンエヴァのラストで覆った。これはエヴァンゲリオンという話だし、主人公の碇シンジという少年の成長の話であると同時に、庵野秀明本人の話でもあるのかな、とそう言う気持ちになった。

 エヴァファンが長年、エヴァの呪縛から解き放たれたかったのは事実なんだけども、その呪縛から解き放たれたかったのは庵野監督自身だったんだろうな。エヴァが続いているうちは、いつまで経ってもエヴァの監督という肩書きに縛り付けられ、ゴジラをやれば、エヴァは?と言われ、シン・ウルトラマンを作るとなれば、エヴァは?と言われてきたその呪縛はクリエイターにとっては充分重い足かせでもあったんだと思う。

 

 シンエヴァ本編の話に戻すと、TV版、旧劇場版、貞本版の全てのエヴァンゲリオンに対してのセルフオマージュがかなり見受けられた。裏宇宙の存在は、別次元で終了したエヴァンゲリオンの存在の示唆だったように思う。その一つ一つにきちんと決別するような作りからは、キャッチコピーの「さらば、すべてのエヴァンゲリオンその物に見えた。過去の登場人物もしっかり出てきたのも、そういう思いがあったんじゃないかと言う気すらしてしまう。

 かつての同級生のトウジ、ケンスケ、ヒカリが出てきて、ニアサードインパクトから生き延びてたんだって嬉しく思えた所で、トウジとヒカリが結婚していた事が判明して、まるで自分の友達や同級生が結婚した報告を受けたかの様に嬉しかった。

 そして、アスカがケンスケとくっついた事にも驚いた。中学時代はミリオタのキモい男子くらいだったケンスケと、ツンデレの代名詞にもなったアスカがくっつくなんて、誰も予想してないでしょ。アスカが作中でシンジに「前は好きだった」って淡々と言ってたのって、お互いエヴァの呪縛で体は14歳のままなんだけど、シンジと違って14年間意識があったアスカは中身は28歳の大人になってしまった、だからかつて好きだった中学の同級生を、今も同じ子供の精神レベルで好きとは思えないって事の現れだったんだと思った。上映後に、パンフレットを読んでいた時に、宮村優子さんが「今までどの世界でもアスカは幸せになれなかったから、今回は幸せになってほしかった」と言う様な事をコメントしていて、凄く同意し、上映中より泣けてしまった。

 

 「Q」では消息がわかってなく、14年の間に死んでしまったんだろうなと思っていた加持さんにも言及され、その加持さんとミサトさんとの間に出来た息子が出てきた事も驚いた。加持さんいつの間に…

 ミサトさんは母としては息子に接する事が一度もなく、母親らしい事が出来なかったから、最後に母として出来ることとして、加持さんと同じ様に自身を犠牲にして死を選んだんだけども、その信条からも、シンジの保護者でいるという強い責任感を持ったミサトさん人間性が見て取れた。そのミサトさんから後を託されたリツコとの間の信頼関係なんかも見えて、死なないに越した事はないんだけども、こういう幸せの形もあるんだなと感じた。シーンとしては、ここが一番泣けたかな。今書きながらも思い出して涙出てくる。

 そして前述した、シンジとマリのラストのシーン、大人になるシンジが出てくるのなんて予想してなかったし、マリとくっつくとも思ってなかった。予想をいい意味で裏切る終わり方でホッとした。

 個人的な解釈の仕方では、TV版のラストは「あなたはここにいてもいいんですよ、個として認められる存在です、そこに気が付きましたね、おめでとう!」⇒「ありがとう」って感じで、旧劇場版のラストは「無理に誰かと一緒にいたり、同じ様になる事もないじゃんね、違う人間がいてもいいじゃんね」って事だったと受け止め(それ故に、他者の存在に対してのアスカの「気持ち悪い」って発言だったりもしたのかな?とかは思ってたんだけど)、要は、個々を認め肯定するって意味合いの終わり方だったと受け止めていた。だから、シンエヴァでも「Q」でメンタルズタボロになってしまったシンジ君がどーにかこーにか立ち直って、丸っとおさめて存在を認められるという終わり方を想像していた。

 ところが、ちゃんと過去に決別しつつも、それを疎まず、新しい道に進んで行く、なんなら誰かそばにいてくれる人が一緒にいて、より強く未来に向かっていけるという、希望に満ち満ちた終わり方だった。これには面食らった。エヴァの終わり方として、色々妄想してきたけど、こういう終わり方は考えていなかったから。だからなのか、見終わって、1日経って、こうやって文章にしている今も、なんだか実感が湧いてこなかったりもする。

 

 常々、エヴァの完結を見届けるまでは死ねない!とか、エヴァのラスト見終わったら満足して死んじゃうかも!とか冗談半分で話題にしてた事はあったけども、そういう気持ちにはなっていないのだった。最終話を見て、熱が冷めたなんて事もなく、俯瞰的に見てるような感覚がある。熱量に関して言えば、そりゃこんな、誰が見るともわからないブログを延々書いてるし、誰かと朝までぶっ倒れるまでエヴァの話をしていたい気分だし、公開されているうちは何度も見に行く!という決意すら揺るがないのに。多分、肩の力が抜けたような、そんな感じなんだろうなと。

 36年生きてきた中で、26年好きであり続けたアニメなんて、そうそう無く、食べ物で言えばカレーやハンバーグぐらい自分の中では当たり前に好きな物になってたのだろうなと。だから、終わってしまった事に悲観的な気持ちにならず、安堵感と満足感で満たされているんだと思う。以前、10年ほど付き合っていた元カノもエヴァが大好きで新劇場版は幸せに終わって欲しいと言っていた事を、上映後にぼんやりと思い出し、ちゃんとシンエヴァ見たのかな?これから見るのかな?とかそんな事も思ったりはした。

 

 こうやってだらだら書いていたら、カラーの公式ツイッターアカウントで、初日の動員が発表されていた。

 

 まだまだしっかり社会現象だったんだなと思ったりもした。

 TV、旧劇どちらにおいても煮え切らないラストをリアルタイムで体験してしまっていただけに、本当に今はホッとしている。捉え方は人それぞれ、賛否もあるだろうけど、それはそれ。僕としてはちゃんと終わった。スターウォーズなんかEP7〜9が最低だったから、そういう意味でもホッとした笑

 

 2021年3月9日の今日現在、まだまだ新型コロナウイルスの影響で、映画館も時短営業を余儀なくされており20時閉館となってしまっているため、最終の上映時間が17時とかになり、平日仕事後に気軽にフラッと行ける状況ではまだないんだけど、上映している間は行ける限り見に行こうと思っています。

 見に行くまでは「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」というキャッチコピーに少なからずネガティブな印象もあったものの、そんな考えは杞憂だったし、今は「ありがとう、すべてのエヴァンゲリオン」という気持ちです。作り上げてくれた、全てのスタッフにもありがとうという気持ちでいっぱいになりました。

 

ありがとう、エヴァンゲリオン。完結したけどもこれからもよろしく