思い出し日記的なやつ【その5】

POGO77(レーベル)のPOGO100(リリースナンバー)リリース記念レコ発ライブに行ってまいりました、2019年3月9日。これ書いてるタイミングではすでに3月10日。

SHITTY HISTORY OF POGO77という、150ページ近くに及ぶPOGO77の歴史を今村さんの言葉でドカッとまとめた本もこれにあわせて発売され、ライブから帰宅後、風呂入って猫と遊んで少し落ち着いてから読み始めてあっと言う間に2時間経過。
全部読み終わったのですが、こんな面白い本は久しぶりだなと、そしたら久しぶりにブログでも書こうかな、最近アニメの話しか書いてなかったし、いい加減続き書かなきゃとか思っていたけど、どこから書いていいのかよくわかんなくったので、とりあえずPOGO77に関するぼくの思い出とかを。

f:id:Ryoching240:20190310035110j:plain

いつも仕事中にこっそり会社のPCで更新してるけど、今日はスマホからなので、文字飾りとかめんどくさいから淡々と…

そもそもぼくがPOGO77を知ったきっかけっていうのが、18歳だかそのくらいの頃で、TOM AND BOOT BOYS(以下T&BB)の現ドラム、TAKA-44(以下44)が原宿のSEXY DYNAMITE LONDONで働いてた時で、鋲ジャンの作り方を知らなかったぼくは、44に「鋲ジャンの作り方教えて下さい!」って話かけたのが始まりで、恐らく2003年とかそのくらいの頃。
高校卒業してフリーターだったから、休みの日は原宿行ってはセクシーに行って44と話してたのでした。その当時、竹下通りのド真ん中のJIMSINNではアズサ君が働いていて、アズサ君ともその頃に知り合ってたりもしてるけど、当時のアズサ君は今よりもギラギラしてて、なんかおっかなかったから、物腰の柔らかい44の方がぼくは話しかけやすかったのかも笑
そんなこんなで44と仲良くなって、平日昼間のお客さんいない時なんかは色々お店でCD流してくれて当時のアンダーグラウンドパンクシーンのバンドを教えてくれたのです。
当時はHPとかあっても、魔法のiらんどとかしかなくて、必要な情報が検索したら出てくるようなもんでもなく、バンドを知るにはDOLLを読んで、ユニオンでCDを買って、フライヤーでライブ情報を見て、ってのが主流だったけど、YouTubeがあるでもなく、高卒フリーターがポンポンCD買うとか出来なかったので、そうやって聴かせてくれたのが凄く大きかった。
それで、教えてもらったのがPOGO MACHINEとTHE DiSCLAPTiESだったのだけど、この2バンドを聴いてなかったら今は無いなって思うくらい、自分の中で大きなバンド。
それで、44に誘われディスクラのライブに行き、ユウト(THE TiTS)だったり、まちゃん(SHOTGUN PLAYBOYZ / NO VALUE)だったりと、今でも好きな人達と出会ったのもおっきかったり。
この辺の事は過去に書いてた気もするし、書いてなかったかもしれない。なんせ久々のパンクの話で書いてるから忘れてる笑

で、国内ならPOGO77、海外ならPUNKCOREあたりのハデハデなバンドがリリースしてるレーベルの音源を一生懸命聴いてたし、ライブも行ってたのです。
ぼくが、初めてT&BBを見たときは、ベースがリッキーさんで、ドラムがレオさんの時の編成だったかな?30'S PUNX GO FOR ITリリース後だからそのくらいの頃だと思うす。

今でこそ、今村さんとも面識があって、話したりもするけど、当時は「POGO77のT&BBのノリさん」って言うのが大きすぎて、アイドル的に見てた部分もあった気がする。そんな今村さんは、前にも書いたような気がするけど、当時ぼくらがいた池袋のパンク界隈をあんまりいい風に見てなかったみたいで、どこかで今村さんと初めて話す機会があった時があったけど、すごくつれない感じというか、メチャクチャ愛想悪くてショック受けた記憶があるのです笑、後年そんな話をしてたら「あの時は池袋軍団嫌いでさ~、ごめんね~笑」なんて言われた笑

その池袋軍団の中にいた44が、今T&BBでドラムやってて、なおかつ大事なメンバーになってるってのがぼくにとっては凄く嬉しい事で、続ける事の大切さみたいなのを感じたりもしたのです。
ちなみに、下北沢KILLERSのオーナー井上さんからも「当時の池袋軍団は…」みたいな事言われた笑

まぁ、池袋軍団当時20歳~25歳くらいの若造が集まって身内で企画してライブやって、みたいなの多かったから、その前からシーンにいた人達からみたら「どうせすぐいなくなる若い奴ら」みたいにしか見られてなかったみたい笑

ちなみに、当時の池袋軍団には、ノーフューチャーズのVoのイワタ君がドラムやってたBOOB$ $HITや、DUSTPANのGtのアヤトモが44とやってたDISSECTSや、HAT TRICKERSのGtのファンタことタケシ君とQUESTIONS AND ANSWERSのGtのシゲ君が一緒にやってたONE ARMED BANDITや、ぼくがまちゃんとやってたSMASH COCKSとか、まぁなんだかんだで雰囲気は変わりつつも今でもバンドやってる人達が結構いたりもするのです。

んで、やっぱり自分達のライブが無いときなんかはやっぱりみんなPOGO MACHINEやらSHIT-FACEDなんかのライブがあればそれ行け、やれ行けとばかりに見に行ってて、よく行ってたのは西荻窪WATTS。今はWATTSは無くなってしまい、当時の話をしてるときに、ワッツという単語を出すと、鶯谷What's upと勘違いされる事もあったりもするのです笑

今でもやっぱりあの当時に感じたり、見たパンクシーンの景色は凄く特別な物で、自分の中の原点みたいなとこはあるかも。
西荻窪WATTSでライブやれた事はなかったけど、渋谷のGIG-ANTICでライブやれた事はあり、それは凄く嬉しかった。ここがギクアンかぁ~と。

今現在、ぼくはCとTODESTRIEBというバンドに在籍していて、どちらもPOGO77な感じではない雰囲気のバンドではあるのだけども、T&BBのライブを見たあとは、やっぱり根底にあるのはPOGO77だなぁとか思ったりもして、鋲ジャンで髪立てて派手なカッコして直球ドタバタなアタックPOGOパンクって未だに実は憧れる部分もあったりする。
ぼくはCRASSやCONFLICT、及びCRASSレコーズのバンドも大好きなので、思想に基づいた主義主張があるパンクはもちろん好きなんだけど、やっぱり根底にあるのはFUCK OFF!だったりPISS OFF!だったりSHIT SHIT FUCKIN' SHITな身近な所に不満をダラダラ言ってるようなわかりやすいメッセージのパンクが一番好きだったりもするから、またPOGOパンクやりたいなぁと思う時もあるのです。
とはいえ、さすがにバンド3つ掛け持ちするのは金銭的にも、体力的にも、自分の自由な時間のためにもキビシいなぁと思ってるのでこれ以上増やす事はないんだけど。ぼくもいいお年頃だしそろそろ結婚してみたいしなんて思ったりもしてるし。まず相手がいないというか、絶賛片思い中なんだけど泣

そんなこんなでバンドを続けたりライブに行く事を続けて15年近く経つ中で、当時知り合えるとも思ってなかった人と知り合いになれたり、昔憧れてたバンドと対バンする事が出来たり、新しい友達が出来たりと、バンドやるのもそれなりに大変だけどやっててよかったと思うことの方が多くて、その体験をさせてくれるきっかけになったPOGO77というレーベルはぼくにとって本当に大事な存在なのです。
やっぱT&BBのライブは見てて楽しいし、体も動いちゃうし。

今村さんのアクティブな姿勢ってのは中々真似出来るものではないし、まだまだこれからも楽しませてほしいなと思うそんな夜なのでした。

久々のブログこんな感じで大丈夫?
中には面白いって言ってくれる人もいてありがたいのですが、ダラダラ書き連ねてるだけだし笑

というわけで、SHITTY HISTORY OF POGO77、再販無しの在庫僅少なので、読みたいと思った人は見つけたらぜひ手にとって読んでもらいたいなと思ったのです。

そんなこんなで明け方になってしまったので寝る事にします。
次回ブログ更新の予定は未定。
ぼくも昔の写真とか引っ張り出したいんだけど、部屋が同人誌の山で…笑